仏舎日和

増殖式御用心!

白鳳時代は天武14年、西暦685年、3月27日、天皇による詔に曰く、《諸国に、家毎に、仏舎を作りて、乃ち仏像及び経を置きて、礼拝供養せよ》と。
世に言ふ壬申の乱より十数年、672年には天智天皇崩御に因り、大海人皇子天皇に即位し、飛鳥浄御原宮に遷都。683年には富本銭の鋳造が開始され、翌年には八色の姓が発令された。詔の発令が天武天皇崩御の前年てうことを考へると、天皇自身の死の予感を内包したものとも解釈できやう。
勿論其の頃には飛鳥寺こと元興寺こと法興寺は既に建立されて半世紀以上の歳月を経て、伽藍にも風格を備へてゐたであらうし、南方には川原寺も聳ゑてゐただらう。仏教に帰依してゐたのは主に権力者階級のはなしだらうが、飛鳥の地では仏教は伽藍てう目に見へる形で広く人民の身近な存在であったらうことは確かだらう。しかし、詔の如く、諸国各戸で仏舎即ち仏殿(仏壇)を設け、其処に仏像を安置したり読経をして礼拝供養せよなどとはまことに殺生なこと。夢のまた夢の如きこの詔が、一体いかほど世間巷間に流布定着実行されてゐたのやら。
(−_−)何の話?
今天曇天なれど花粉千倍、夕刻に小雨来て、自行車にて慌てて帰宅。工作現場には若きGPS指向性地理的彷徨学生連中出現し、偉大な現場にて fieldwork and workshop. 或る意味、幸せな環境に生まれたる人種の活躍や如何に。亦、偉きヒトも来て、各人交渉の順番を待つことしばし。其の効能や如何に?!
(−_−)どやさ?
夕餉の終はる頃、先日のバイク事故の関係者来訪し、御見舞とバイク修理代金支払済みの報告。担当者は相変はらず極めて誠実で、今天までに何度もケータイに「今天、汝の身体異常無きにしあるか?」との問ひ合はせ有ったりと、いくら仕事上の担当とはいへ、なかなかイヤな役回りだなとぞ思ふ。でも、当の当事者たる運転手は、相変はらずもごもごとはっきりせぬ煮ゑ切らぬ感じのヒトだったな。とまれ、我輩の偉大な身体各所の捻挫もほぼ完治し、是にて一件やうやう落着せるかも。
(−_−)ほっ・・・