御影供春分

ガラタ式?

季節を分つ、春の節目。
朝はまだ、少しひんやりと晴れて明けて、そして穏やか快晴の国民の祝日となる。我輩もこの極東の列島の一地方に潜伏せし一工作員として春分を大いに祝さむと、休日モードで自行車駆って行動開始。
先づは、可成り昔に一度二度、会ったかもしれない可能性の高い団塊の御客様。歴史関係の繋がりを手繰り寄せて行けば、其処此処に共通の老師や朋友の名が浮きつ沈みつ、それこそ歴史の奥深さと繋がりの不思議さと、人生のイロイロなることをさまざまに語り合ひたりける。後半遂に話題は神山に及び、我輩の撮影した神山聖湖の圧縮精髄を眺め乍らの紀行談義。トニモカクニモ、常にさまざまなる事物に思ひを馳せれば、即ち脳中の齢に限りは無く、寧ろ炯眼をして神経の回春を齎すものかと。楽しき数時間、au Cafe Longchamp
(−_−)若輩者が偉さうに・・・

其の後、忽ち午後を迎へ、事務所経由で朋友と自行車ケッて鉄道駅へ。無限に並びまくり、無限に将棋倒しで千々に乱れた自行車置き場の一角に捩じ込んで、JRはたったの1駅、地下鉄は14駅目の終点まで。見知らぬ街ではないけれど、何処となく他所往きの風情となった桜並木をぶらりぶらりと徒歩15分。友人奥様の作品展会場へ到着。
それはそれは繊細にして細密精密なデコラティブアートの数々。春分に相応しく、桜並木より一足先の百花繚乱にて、感心するやら驚くやら。ところが製作者御本人に尋ねましたところ、其の実は「一番驚いてゐるのは自分であったりしてゐる」てう発言に微笑みつつ、会場を後にする。なぜならば、今天は今ひとつの個展に出かけなければならないからなのだよ。
おっとその前に、遠き蝦夷地より遥々来ぬる学生坊主との面会はいつものドーナッツ屋で。風邪でもないのに其の嗄れ声は何とする? 察するにトリ・インフルエンザに相違なきことと勝手に判断し、早々に撤退。しかし彼こそ、昨今俄に結成された石器探査ドリームチームの庶務担当役として今後激しく活躍してもらわねばならない人物故、がんばってくれ給へ。

足し算引き算は宇宙の神秘、偉人の最も苦手とするところであるが、終着駅は転じて始発駅となり、今度は三人で仲良く7駅戻って有人の個展会場へ。嘗て作品中央に鎮座してゐたインディゴブルーの矩形は自律的に分解を開始し、開始と同時に二重螺旋のフラクタル的展開で回転を開始し、今回はその経過的作品の陳列であった。平面作品の世界は何処までも奥深く、無限に深読みも出来るが言語への置換は不要な事が殆どだ。繊細な、半透明の乳白色膜世界は重層的で、生命の内的自律運動を内包した作品群であった。

其の後は再び、二人で蔓んで覚王山日泰寺へ。参道の縁日も既に黄昏れに片付けの何処か寂しげな風情であって、境内も5時で閉門。それではと本堂背後に聳ゑる、威風堂々の水道塔へ。御屋敷街は坂の街。一文字瓦の豪邸や、粋な黒塀門冠りの黒松、そしてその門扉の奥深くに鎮座する水道塔はまさに「倭国のガラタ塔」。昭和40年代的なメゾン6Fの廊下から見下ろせば、その威容は殊更際立つもの也。是ぞ彼の赤玉に匹敵する偉大な存在にて、大いに写真に収め、下界へ。御屋敷街を右往左往、露地覗ひたり脇見たり、坂道下った地下鉄駅まで小一時間をそぞろ歩く。さて其処から更に地下鉄乗り継ぎ6駅目。大規模門前街のアーケード街に辿り着き、宵闇に沈みつつある本堂内陣参拝し、草臥れたやうな若者や、時折卒業式帰り袴姿の女子大生の後ろ姿などちらと見乍ら更に歩き、結局中華式素食餐庁にて夕飯喰ふ也。

この大いなる移動と対話と吃飯の羅列が如何にも偉人の休日に相応しき内容と勝手に判断し、招待所に戻ったのは午後十時前のこと。昨天密かに仕入れておいた、玄米の米爆ぜなどむしゃむしゃ喰へば、時既に午前一時の頃となりけむ。
(−_−)内容濃過ぎる?
     

空海の夢