血脈

交脚橋脚忘却主客

激しく工作現場を走り回る。
昨天ほどではないにせよ、今天も寒さ残り冬の風情。灰色雲が絶ゑ間なく飛来しては去るのだが、刹那の陽光も工作上不都合な事も有るのだから皮肉なものだ。日向と日陰の強烈なコントラストを消さむと、大きなコンパネ立ててもらったり、ヒト集めて人海で陰を作ってみたりとあれこれ。成る程、工夫は必ずしも多ければ多いほど物事が方便に作用するてうワケではないが、旅行や宝くじ同様、如何に工夫するかをあれこれ考へてゐること自体が楽しいのであって、大事にしたい時間でもあるのだ。
(−_−)。。。
それにしても、時間と世代と血脈の重層性を、具体的な遺物遺構や物理的な土壌の堆積で認識する事が出来、初めていくつかの素朴な疑問が解きほぐれつつある。時間も世代も血脈も、区画され結界された「其処」に埋設され、埋蔵され、埋もれ、流され、忘れ去られ、そして掘り出される。さすれば、墳丘の高さや規模はその一族の繁栄を反映して或る程度は比例するだらうから、顕示誇示が社会規範の素地に有ったことになる。わざわざ溝を埋め立ててまで墳丘を構築するワケだから、墳墓の維持管理も基本的には土木的技術が必要不可欠となる。勿論、埋設の方法や埋納の儀式は呪術者や巫女が司ったであらうから、土木は呪術と相通じていなければならなかったワケだ。
(−_−)フムフム。。。
夜は夜で、激しい校正工作に倦んじ、寒さにも負けずに自行車でじゃんじゃんジャスコへ。夜十時過ぎにも拘らず、実に仰山の人々が大いに買ひ物して歩き回ってゐるものだ。驚いた事は、小学生低学年くらいのコビトを連れた若夫婦が何組か、お買い物してゐたこと。どのやうな家庭の事情かは知る由も無いが、あの茶髪コビトはいったい毎晩何時に眠ってゐるのでせうか?
(−_−)~~~

        
             
血脈 (上) (文春文庫)