感傷団地

赤玉団地

今は亡き赤玉公園の近くに、ちょっと草臥れた団地が有る。
いや、正確には、昭和40年代後半に建設されたであらうちょっと草臥れた団地に埋もれるやうに、赤玉公園は有ったのだ。または、団地の一部として計画的に設けられた公園の一部が、長年赤玉塔専用の禁足地として結界されてゐたのだ。さておき、そんな団地群のなかでも県道に面した主要棟の1Fには店舗が並んでゐて、今でも細々と、しかし元気に店を続けてゐる店舗が3店有る。
改めて数へてみると、元来店舗は6軒入ってゐたやうで、閉店してしまって人気の失せた3店舗は金物屋、寿司屋、電気屋だったやうである。各店舗の看板の名残だの、寂れたしもた屋独特の風情には何処となく侘しい隙間風が漂っており、がんばってゐる他の店舗とは対照的だ。
それぞれが良い味を発散してゐて、例へばお好み焼き屋は「イカ玉」も「肉玉」も1枚100円(「イカ・肉・玉」の三位一体は150円)だし、肉屋は何故かコロッケばかりならず様々なお惣菜*1を並べた上で看板娘を配置して威勢が良いし、八百屋は独居老人の要請に応へ、野菜も果物も1個単位で売ってゐるやうだ。お昼時等は見てゐると次々に客が立ち寄って、お好み焼きもお惣菜もお野菜もなかなかよく売れてゐるやうではある。
しかし、過日の「赤玉の死」に象徴されるやうに、数年前からこの団地では順次取り壊しと高層化再生が同時進行しており、此の商店街も今や風前の灯のやうだ。恐らく数年の内にはこの主要棟も取り壊されて、耐震強度もクリアした十階建てか二十階建ての新築団地に生まれ変はるのだらうが*2、こんな何処か懐かしいやうな小さな小さな商店街は再生されることなく無くなってしまうのだらうねきっと。
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再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし (らんぷの本)

再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし (らんぷの本)

      
       
        

*1:各種魚のフライや和へ物、そして何故かエビチリが異彩を放ってゐた

*2:現在は6階建て