香港と日本

ごろり

先日の番組を見てゐて思ひ出した、香港の歴史。日本人の忘れてしまった、日本と香港の関はり。
1941年12月25日の、所謂「ブラック・クリスマス」*1を境に、香港は太平洋戦争最初の日本軍占領地となり、香港占領地総督府が設置され、初代総督には磯谷廉介中将が赴任した。
磯谷総督は「香港の人口は多すぎる」として、難民達を半ば強制的に帰郷させる人口疎散政策を行ひ、残った住民達からは香港ドルを回収し、日本軍が発行した疑似紙幣である「軍票」を流通させた。回収された香港ドルマカオタングステンなど、日本軍の戦争逐行物資の買ひ付けに利用された。
表面上は抵抗するそぶりを見せなかった住民達だが、戦況の変化は隠し持ってゐた短波ラジオで伝はってゐた。日増しに激しくなるメリケン軍の空襲。このとき香港側から呼応するやうに爆撃目標を示す狼煙が次々と上がってゐたのは、BAAG(英国軍人服務団)*2の活動の結果であると言ふ。
未だに時折、大陸と呼応して小規模なデモが日本国領事館に押し寄せるが、その背景にはこのやうな半ば忘れられた歴史が有るてうことだ。半島酒店ことペニンシュラ・ホテルのロビーで品無くはしゃぐ前に、うつろな頭の片隅にこのやうな歴史的背景の欠片を置いておくことは、我々に取って大変重要なのかもしれない・・・
 
          
香港観光旅行  最期の九龍城砦 完全版  恋する惑星【字幕ワイド版】 [VHS]
       
       
           

*1:12月8日早暁、「ハナサクハナラク」の暗号電文を合図に開始された日本軍に因る香港攻略は12日までに九龍半島を制圧し、18日には香港島上陸開始。黄泥涌貯水池の水栓を止めてイギリス軍の戦意喪失を誘ひ、25日午後7時半、イギリス香港政庁のヤング総督、モルトビィ少将らは九龍のペニンシュラ・ホテル336号室で蝋燭の光を頼りにして降伏文書に署名した。イギリス側ではこの日を「ブラック・クリスマス」(黒色聖誕節)と呼ぶ。

*2:British Army Aid Groupの略。日本軍の香港攻略後、密かに脱出した香港大学教員のライド大佐らが中国広西省桂林で組織した機関。香港に多数の密偵を潜入させ、日本軍の香港統治の内情をつぶさに連合国側に知らせてゐた。