砂上楼閣

多重橋脚の森

人間がこの脆弱な地上に構築した各種の建造物。
偉大な高架、雄大な橋脚、壮大な摩天楼。耐震強度不足問題を引用するまでもなく、より公共性の高い構築物の耐用年数のことをいつも考へる。想像を絶する規模の大地震に因って倒壊し、風雨に因って風化し、地中に埋没し忘れられて行く・・・ 数千年後にこれらの建造物は、どのやうな遺構として解釈され、どのやうな文化文明が復元されるのだらう。
人の世の儚さは、身近な地層の断面に濃縮された時間の堆積を考へれば容易に想像出来るが、現在進行中の時間の粘着性や希薄さ、同時に濃厚さは各個人が良く知ってゐるだらう。そんな、儚くも骨身に纏はりつく時間の功罪は、驚くべき伸縮性だ。知覚は必ずしも主観的なものとは限らないが、時間は各人の刹那に千変万化し、複雑に交錯しては常に突然変異する次元物質だ。
現在のこの瞬間を未来の遺跡の一場面と割り切るべきか、永々脈々たる本流の一断面として日常の裏に帰納せしむるかは個人の自由。今後人間に因って地上に生み出されるであらう無数の構築物の耐用年数の終はる頃には、建造時の生者は殆ど居るまい。勿論、偉人とてそんな例外に非ず、どのやうな刹那を生き、そして逝くのであらう也。

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南洋の楼閣

南洋の楼閣