大いに鎮座ましませり

簡素なる美

今天は当地南部に鎮座まします、我が邦屈指の大神宮へ。
大都会の直中におはしますが故、自行車での探査を諦めて電車でのお出掛け。昨点の北帰行とは違ひ、南下路線の乗客達は彩り鮮やかで好対照。乗降の出入り激しく、忽ち準急車内は満員御礼。
大神宮火車站は言ふまでもなく、大混雑。おまけに何ら関係無い耶蘇教の街頭説教や、ガイジンの托鉢僧、ロックンロール集団まで蝟集する中に、晴れ着のお嬢様方は云ふまでもなく、コビトからヤンママからじっさまばっさまからおっさんおばはんまで、おるはおるは。押すな押すなの押し合ひ減し合ひで、参道両側に何処までも居並ぶ屋台の数知れず、おしまひの行く末には参拝客なのか屋台目当ての客なのか区別もつかぬほどになり辟易とした頃、著名な杜の分岐点に差し掛かり、古札返納所、御手洗処を経て拝殿前の境内へ。さすがに昨天ほどの賑はいには及ばねども、そこは天下の大神宮、拝殿正面の特設超級賽銭箱?までへうへうのていで接近し、100円玉を可能な限り遠方に1枚放擲した後、御参拝的1分間。
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其ノ後、これまた行儀宜しく行列に並び、大神宮の御札に加へ「お守り卓上神殿」なる新奇工夫のミニ神殿フィギュア(高さ10センチほどの白木造りで、ちゃんと内部に大神宮のお守り札が入ってゐる)も入手。結局持参したデジカメでの撮影は10枚ほどしか出来ず、見物中心の御参拝になりにけるかも。
それにしても帰りの車内、見るだに貧相な小姐集団がブランド商店やいくつも巨大な福袋ぶる下げて下品なお喋り、見苦しきこと甚だし。かういふ連中が海外ブランドの社運を一手に支へてゐるのだと思ふと、その経済の実態が如何に虚しく空虚なものかてうことがよくわかる。
たった3時間強の外出であったが、民衆群衆庶民人民の毒気に当たってしまってさあ大変。帰宅後も何となく食欲無く、内蔵の涵養の為にモーツアルトなどひたすら聞き乍ら、気分の乗らぬ原稿入力を遅くまで、ぼそぼそぼそぼそとするなりけり。
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モーツァルト:協奏交響曲

モーツァルト:協奏交響曲

兎に角この曲の第1楽章、オーケストラの前奏まだ終わらぬ部分から演奏の始まるヴァイオリンとヴィオラのユニゾンのフレーズがたまらなく好きで、何度聴ゐても蕩けてしまいますです、ハイ。