KKH

ラカポシ方面を望む渓谷

双十節。終日雨。
パキスタン北部大地震の報道で出てくる地名を確認する為に、手持ちの地図コレクションを点検したが、なかなかあの辺りを的確に取り上げた地図は無いものだ。沢山有る中国地図は、どれも新彊のコングール山以西は極めて省略表記だし、パキスタン全図も領土を主張するジャミュ・カシミール地方まで入ってゐるのはよいが、アフガニスタン側や地形把握が全くできない代物だ。結局、2001年小学館発行の「アフガニスタン」(350万分の一)がそこそこ役立ってゐるワケだが、これは言ふまでもなくメリケンのアフガン侵攻開始に伴って各種発行されたモノの一つだ*1
その地図をそこはかとなく眺めてゐたら、震源地からインダス川を250kmほど遡ったところに懐かしい地名を見付けた。Gilgit=ギルギット。そこから更に、支流であるフンザ川を遡ると、カリマバードに至る。かつてのフンザ王国の中心だ。
中国新彊からのルートだと、クンジュラフ峠(4700m)を越ゑてパキスタンに入境。そこはカラコルム山脈の西端、パミール高原南端。バトゥーラ峰(7785m)を右手に、ディスティギール・サール山(7785m)を左手に望み、K2そしてやがて正面に名峰ラカポシ(7788m)の姿が見へ始める頃、カリマバードに到着する。
気が付けば周囲の風景には緑や花の潤ひが溢れ、蒼天と雪山と黒い岩肌と赤茶けた土煙と木々の緑、そして人々の営みが渾然一体となって桃源郷的風景を造り出してゐる。世界に知られた長寿の村の標高は、2000mほどだらうか。5000m近いクンジュラフを越ゑて来た者にとっても、灼熱のインダス川下流域から登って来た者にとっても、そこは天国的な環境なのだ。
結局、真夏8月に中国方面からと、数年後の秋にイスラマバード方面からアプローチしたワケだが、穏やかな雰囲気と時間の流れる素朴な町であることに変はりは無かった。とりわけ、急斜面に展開する村で出逢った少年が案内してくれたバルティット城*2は、1987年当時には廃墟同然のありさまで、少年達は城内部やその周辺から持ち出した歴史的文物・骨董類を我々外国人旅行者に見せては売ったりしてゐたのだ。今から思へば、後にカラチの博物館や大英博物館で見ることになるやうな、中世的装飾の施された什器類や宝石類もいくつかあったので、一つくらい買っておけばよかったかな、などと思ったりしてゐる。猶、数年後の再訪時には城は整備中で立ち入り禁止となっており、今は夜間にライトアップされたりしてすっかり整備され、観光施設になってゐるやうだ。
フンザもギルギットも、きっとかなり揺れたことだらう。

フンザへ

フンザへ

KKH = カラコルムハイウエイ

*1:この地図でもカブール表記になってゐるが、正確にはカーブル

*2:フンザ藩主の居城。町を睥睨する斜面高所に在って、そこからの眺めはまさに天国的。イスマイル派の宗教指導者アガ・ハーンに因って修復され、一番古い部分は13世紀のもので、実際1945年まで藩主が住んでゐた