光明と暗黒

タコは出てまいりません

アナキンが暗黒卿のしもべとなり、同志や師との壮絶な戦ひを経た後に、暗黒世界の権化となって蘇る。これはアナキンの定めであり運命なのだ。愛するパドメの未来を救う為、自ら葛藤を招いたのも、将来一戦を交へることになる我が子の誕生も知らぬまま、いたづらに闇の支配者として君臨してきたことも、全て彼の運命なのだ。父と息子の対立(「デイ・アフター・トゥモロー」も「宇宙戦争」も然り)、師弟の対立、愛情と憎悪と誤解、権力と暴力と服従と反乱、過去と未来、希望と運命、闇と光、正義と忠実、世代を越へて複雑に絡み合ふ複数多次元の対立因子。各々が普遍性を孕んだ主題なので、別に舞台が宇宙でなくても成立するサーガではあるが、異星人やドロイド、さまざまな宇宙船や惑星が出てきた方が楽しいではないか。
「選ばれし者だったのに」と、オビ=ワンが叫ぶ。選ばれた者であるが故、背負う運命には陰陽が有るのだ。そんな意味では、誰もが「選ばれし者」だ。
(-_-)
最終話てうこともあるのか、技術の進歩も有るのか、監督の思ひ入れもあるのだらう、とにかく画面の作り込みが尋常ではない。細部や画面の隅々まで、そしてCGが遠近の距離感を発揮し、壮大な奥行きのある画面が作り出されてゐた。勿論完結はしないし、この故事の行く末まで全て知った上でのことだが、異常なまでに戦ひの場面が多い。それと、ジェダイの運命なのか何かの隠喩なのか、手首を失う者が妙に多い。しかし、エピソード1で退屈の根源となったテレビゲームもどきのレースも無いし、2の如く物足りなさや中途半端さは感じられなかった。当然乍ら、オープニングは例によってファンファーレとともに故事の背景や概要が簡潔に述べられて、漆黒の宇宙の果てに消ゑて行くのだが、ジョン・ウィリアムによるテーマ音楽が、何となく残響やら息継ぎの感じが今までとは違ってゐるやうに感じた。劇場空間は230人規模のスタジアム構造だったが、巨大な湾曲したスクリーンに展開する映像と、気宇壮大なオーケストラ音楽が相俟って、非日常の宇宙空間に導かれた141分であった。
(- + -)満足顔
それにしても一部の作品紹介サイトでは、パルパティーンのことを「パルパチン」と書いてあったが、ユビパッチンのやうで奇妙な表記だな。それに、クリストファー・リーの爺様、ロード・オブ・ザ・リングの魔法使ひの時よりふくよかになって元気さうで立ち回りまでこなしておられるが、いったい何歳?83歳!驚きだ。長寿と繁栄を!! でもサミュエル・L・ジャクソンは何か違和感あるね。それと、今回のパドメのかむばせ、いくつかのシーンでなぜか松田聖子アメリカデビュー仕様)に見へてしまったのは我輩だけ?目の錯覚?でも、棺に横たわり運ばれて行く姿は、まるで水面に漂ふオフィーリアのやうでした。
スター・ウォーズ」第1作から既に28年か・・・(-_-)タメ息

Star Wars: Episode III - Revenge of the Sith

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