戦争と殲滅と戦慄と遷移と戦意について

コスモスにあらずむば・・・

WAR OF THE WORLD こと「宇宙戦争」は、H.G.ウェルズの傑作空想科学小説であり、1953年に制作された同名の映画は、コドモの頃から今まで3回以上観ただらうか。今回再び映画化されたこの作品、内容は血生臭く悲惨で絶望的であり、SFと呼ぶことをしばし戸惑ふほど。クラシックなナレーションで開始される手法は、ふと我が邦の「ウルトラQ」を連想させるものがあったが、余りにも何気ない一市民の平凡な一日が、天変地異に見紛う怪奇現象に端を発し、得体の知れぬ何者かに因って壊滅して行く。メリケン社会ではごく当たり前の、離婚した夫に許された週末だけの子供たちとの生活。こんな設定の主人公を手がかりにしてどこまで作品に入り込めるかは別にして、人知を越へたものとの遭遇から次の瞬間には殲滅される対象として追い詰められて行く人類の絶望的な蠢きは、観てゐて憐憫の情を抱かせるほどのもの。頭上に立ちはだかる巨大なトライポッドの群れや、瞬時に撃ち殺されて分解して行く無数の人間たち。奢り、増殖し、地球上に蔓延る人類が如何に刹那的な存在であるかてうことを、これまた刹那であれ思ひ知らせてくれる場面がいくつか用意されてゐて、宇宙的スケールでブルーになるにはもってこいの作品だ。
(-_-) blue~~~~~
勿論何か変だな、と思ふこともいくつかあったし、違和感覚えた部分もある。侵略者のトライポッドがどことなく3本足の巨大なメカオクトパスに見えることは、タコ型火星人襲来へのテクノ的オマージュであるのかないのかは良しとして、あれほど執拗に人類殲滅のための探査をおこなった「物体X」たちだが、目的地のボストンは何故にキリング・フィールドにならなかったのかとか、侵略者たちのデザインが何故に爬虫類的エイリアンタイプになったのかとか、恐らくサービスカットであらうTV-asahi からの中継や難民と化した人々が聞き伝へとして言及する、大阪人は如何にしてトライポッドを倒すことが出来たのかだの、銃社会であるはずのメリケン人達が何故に撃ち合いをしないのかなどなど、気になると言へば気になることだ。
さておき、ゴジラと違ひここにはペンタゴンも破壊される自由の女神も出てこないけど、選択の余地無く殲滅の対象になる恐怖感は、かなり味わうことが出来た。また、いつものお決まりのパターン、即ち、ジャンルは宇宙やSFのふりをし乍ら、結局は親子の愛だの家族の絆だの献身だの母性だの、さういった落としどころに向かって物語りが急激に収斂されて行ってしらけてしまう割合も、凄惨な場面の多用に因り比較的希薄だったことも、高得点の理由かな。
(-_-) humhum.....
トム君=中年バツイチ男にしてはちょっとカッコ良すぎる? ダコタ嬢=叫び声、怯へる表情、放心状態などは憎ひほどの出来。ミランダ嬢=エオウィンの時の笑顔と同じ。ティム君=もうちょっとサイコな雰囲気が欲しかった。これでは「ミスティック・リバー」の時と似た感じ。場面の雰囲気は「サイン」または「ヴィレッジ」風。音楽はお決まりのジョン・ウィリアムズだが、一風変わった作風の曲に仕上がってゐる。
そして亦、事の顛末が冒頭と同じ微生物画像にナレーションとして語られるのだが、石坂浩二とは違った雰囲気のナレーターは、モーガン・フリーマンだった?(-.-) 
兎にも角にも、奇しくも独立記念日メリケンばかりならずフィリピンも)てうこともあったが、大統領自ら戦闘機に搭乗して宇宙船を攻撃する「インディペンデンス・デイ」のやうな展開でなくてよかったことは確かだ。
(- + -)

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