信ずるものと信じざるもの

花以て包み込みたりける

耶蘇教の伴天連の偉大な頭領様がお隠れになり、地上の信者は大いに沈んでゐるやうだ。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/index.htm
カロル・ヴォイティワことヨハネ・パウロ二世の人生は劇的だ。二千年近い教皇の歴史上初めてのポーランド人。そこまでは知ってゐたものの、かつて彼はポーランド南部の古都クラクフ大司教であったことや、近郊のワドビッツェ出身であることなどの詳細を知ったのはポーランド旅行の際であった。(アウシュヴィッツことオシュヴィエンチムにも近い町だ)
ポーランド人の国民性は真摯で慎み深く、我々日本人は殆ど知らぬが非常に親日的である。我輩もワルシャワや北部グダニスクで何度か路上で「どこから来た?」と尋ねられ、「日本からだ」と答えると抱きつかれたり握手されたり、見知らぬ夫婦に昼食を御馳走になったことさえあった。(旧東欧諸国連合の関係上、ベトナム人や中国人の留学生を大量に受け入れており姿をよく見かけたが、残念ながらあまり評判は良くなかったやうだ) また、総国民耶蘇教に帰依すること甚だしく、地上の良き信者としてはアイルランド人と双肩を為すのではないかしらむ。
バチカンが未だに中世暗黒時代の古き良き伝統も古き悪き伝統も何もかも、ぞろぞろと重ひ衣の裾に括り付けて引きずって、現代性を拒み続けてゐることは万人承知のことだ。やれ118番目の謎の枢機卿がゐるだの居ないだの、悪魔払いの儀式や錬金術を研究し続けてゐるだの何だの、耶蘇の緒言と思想の初源をどれほど継承してゐるのかは我輩の知る処にあらねども、隠匿し古式に則ることによってその威厳を高め続けてきたことは確かなことなのだ。
我輩は勿論耶蘇信者でも何でもないが、宗教が平和を生み出した例を殆ど知らず、とりわけ耶蘇教ほど災いと戦いの歴史に彩られた宗教も他に無いのではにかとぞ思ふ。もっとも、静謐と瞑想、無常観に満ちた仏教でさへ、伝播の過程を遡上巡礼してみれば、矢張りそれは戦いの歴史であったことを知ったのだが・・・
さういふものとは無縁であると思はれた神道でさへ、半島より新規伝来した仏教との生存競争を余儀なくされたことだし、宗教や哲学が人間生存の根幹に関わる価値観に抵触する領域に踏み込んだものである以上、他己との対峙は必然のものであるのかもしれない。幸い、列島の圧倒的な大自然の包容力で、さすがの仏教も神道的世界観と溶融し、渾然一体のものとなり紛ひなりにも現在に至っているが、大自然力の衰へとともに坩堝内の融解点は上昇し、渾然は混沌と無秩序に分離し変容しつつあるやうだ。
今天は、教皇の良き転生輪廻を願ひ、憐れみを以て祈りを捧げやうではないか。
(-_-)南無アーメン

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