ゑひもせず

薫り高く気高くも自己愛的存在

ふと、木枯らしの隙間に庭の黄水仙の香りを感じ、隣家に普段はみられぬ子供らの走り回る気配を感じ、何とは無しに大気の凛と澄みたるを感じ、矢張り世間はお正月であることを改めて知る。
昨夜は第九に重なって、近くの寺の鐘の音が響ゐて来た。別に繁華街に出掛けるワケでも、今更買ひ出しに出るワケでもないので、実際に正月らしひ色彩を目にするワケではないが、10時を過ぎて賀状の束が配達されたり電子郵件年賀が届いたりする状況は、この時を除いて他に無いワケだ。一部の電影を除き、電視節目はろくなものをやっていないことはわかってゐるので、見ない。その代はり、普段余り見ないDVDをかけっぱなしにして室内工作にいそしむだワケであるが、大仰な音楽の付いたメリケン作品よりも、日常の雑音に溶け込んでしまう音世界を持った作品が面白かった。「華様年花」などはその筆頭で、為される会話やその周囲の雑音までもが我輩の現在進行形のそれと溶融し、不思議な空間を創出して行くのだ。「ベルリン 天使の詩」も「アメリ」も然り。「めぐりあう時間たち」もなかなか環境音楽的な、水のやうな作品であることを再認識せり。「タイタス」は失敗で、余りの存在感の濃さに工作中の手を止めて見入ってしまった。
ふむ。(-_-)
その他のBGMとしては、アルカンジェロ・コレッリソナタ集作品5の7〜12(フランス・ブリュッヘンブロックフレーテ)et
Morimur (after J.S. Bach)
et WEATHER REPORT 8:30