厄災の年・思惟の年

此の世の彼岸

1日で物凄い量の雨が降って、中庭は水没。危うく床下浸水になるところだった。雨水受けの大きな水槽に棲息してゐたメダカの群は、どうやら姿が見えなくなってしまった。水路に流されてしまったのだらうが、海が近いので回遊して大きくなって帰ってくるのだよ・・・ 
庭に置いてあったバケツに水溢れる様子から、発表されてゐる300mmよりも遙かに上回る量の雨が一日で降ったのだ。我が家の盛大な雨漏りは言ふに及ばず、海岸沿いの国道はコンクリート擁壁ごと崩落して通行止め。先の地震と台風で崩落流失した自転車道周辺は、崩落が更に大きくなり、隣接した公園も消失の危機迫る。今回の台風は、進路がわずかに東にずれたので、直撃はまぬがれたのだがこのありさまだ。もし直撃を受けてゐたら、この雨量に暴風が加わっていたワケだから、考えるだけで恐ろしい。進路の東側と西側で、これほど大きな差があるのだね、などと今更のやうに実感。それにしても、これほど災害が集中する年も珍しいだらう。人間の無力さを思ひ知るにはよい年だが、当然その代償も大きいのだ。
さういふものなのだ。かういふものなのだ。
夕方にはウソのやうに風雨消滅し、西の空には浄土の如き濃厚な黄昏、夕焼け。そのおどろおどろしきありさまは、世界の滅びの前兆のやうでもあり、同時に新しき世界のはじまりのやうでもあった。思はず実相無漏の心境で入想観に至る。