憂愁のタンゴ

この鳥どんな鳥?

秋雨が続く。いつもの秋雨と違って、瀟々としめやかに降る様子ではなく、気紛れでムラがあり、予想がつかない。人心を映してか、極めて不安定な状態だ。
夜になってギドン・クレーメルのアルバム「ピアソラへのオマージュ」を聴く。3年ほど前だったらうか、ピアソラの没後10年か何かがきっかけでブームが起こり、一段とピアソラの評価やアルゼンチンタンゴの興味が高まったことがあった。このアルバムは1995年のものなのでブームとは関係なさそうだが、ヨーヨー・マによる「リベルタンゴ」が1997年に発表されたり、ブームとは関係なく、むしろクラシックの演奏家たちがオイアソラの演奏や楽曲から霊感を得てアルバムを発表するパターンが多いてうことは、興味深い。CDのリーフレットには満面笑みのギドン・クレーメルがバイオリンを抱えてゐるポートレートが入ってゐるが、本人のイメージにはほど遠いものだ。繊細で神経質で、いつも聴衆や周囲の者に緊張感を強いるやうな、憂鬱な表情が常なる人物てうイメージがあるが、それは誤解? 1947年ラトヴィア生まれ、モスクワ音楽院オイストラフに師事、パガニーニコンクールとチャイコフスキーコンクール第1位と連ねただけでも常人の域ではないが、古典曲より現代曲の演奏と普及活動は熱心で、所謂「類稀」なる演奏家の範疇筆頭に位置する演奏家だらう。
このピアソラとタンゴの演奏会の様子は以前にNHKで見たことがあるが、楽器編成が独特だった。クレーメルのバイオリンを中心に、バンドネオン・ピアノ・ハープシコードクラリネット・チェロ・コントラバス・パーカッションなどが曲によって組み合わせを代えて次々に入れ替わる。そもそもピアソラの作品自体がクラシック音楽に非常にシンパシーを寄せたものであるため、さまざまな解釈が可能なのだ。可塑性に富む音楽とでも言ふべきか。さういふ点ではヴィラ・ロボス同様、極めて対位法的な展開部を持つ作品も多いし、フーガの要素も看取できる。儚く切なく、どこか物憂げでかつ力強い・・・これら相反する情緒的要素を同時に併せ持って表現できる音楽なのだらう。クレーメルが夢中になるのも、極めて理解できることだ。いずれにせよ、秋雨の頃には大変よく馴染む音楽である。