狭間式

ここどこ?

  • 中国的朋友が送ってきてくれたDVD、電影=映画なのだけど中国語と英語の字幕が同時に出る。内容は香港映画なので、科白は広東語である。かういふ場合、曖昧な領域を住処とする我々日本人はどこに入り込めばよいのだらう?
  • ベルリンで見た中国映画。意外だったが、ドイツでは殆どの外国映画は吹き替えで上映されてゐるのだった。さすがに中国映画は字幕上映であったが、科白は北京語てうモードだから、日本語人は何処に入り込むべきか?
  • 巴里のシネマテイクで見た仏蘭西映画。なぜか字幕は英語であった。我輩はどちらの言語に付着すべきか?

第1の例に顕著なやうに、我々の言語座標は実に曖昧だ。恐れ多くも漢字文化の傘下の一角に鎮座する我々ではあるが、漢詩のひとつやふたつくらいは読めても、漢字の無限連鎖を字幕で瞬時に理解する能力を有するのは、我輩のみであらう?か・・・ 勿論漢字だから羅列されていればそのいくつかは日本語方面から理解できやうが、中国語と同じ字面であっても意味がわかるてう保証は無いワケだ。かといって、小さな英語字幕を瞬時に読むことの出来る客は我輩だけ・・・なかなかおるまいぞおるまいぞ。かといって英語の単語もまったくワカラナイわけではないので、余計に悔しひのだ。とにかく、日本人の一般的人民的知的水準においては、中国語も英語もちょっとずつワカルけど、言ひ換へればどちらにも入り込めない仕組みだ。さういふ運命なのだ。こんな言語の狭間に蟄居を余儀なくされる事ほど、宇宙の孤独を感じる時は無い。
ひょっとして日本人は、地球上でかなり孤独な人々だったのかも知れない。
ん?そうでないかもしれない??どうでもいいかもしれない???
どうよ?