「たま」のはなし

あっぱれ秋晴れ

友人が知久寿焼のライブにでかけたてうこと。奇しくも仕事のBGMとして、最近しきりに「たま」の「さんだる」を聴き倒してゐた最中のことだったので、妙な親近感を感じた。「たま」が解散したのは去年の10月のこと。その後3人はそれぞれ独自の活動をしているらしいてう噂は、風の便りで聞いていた。「たま」の世界は独特で、懐かしくも前衛的。彼らのライブを見たのは、たった1度きりだ。
あるばむ「さんだる」は1,方向音痴、2,おるがん、3,オゾンのダンス、4,日本でよかった、5,学校にまにあわない、6,どんぶらこ、7,ロシヤのパン、8,さよなら人類、9,ワルツおぼえて、10,らんちう、11,れいこおばさんの空中遊泳、の11曲からなる。1990年頃爆発的にヒットした「さよなら人類」はさておき、どれもどれも個性的で情緒豊か。奇妙奇天烈な歌い方のわりに、ほとんどのコトバが正確に聞き取れて、展開する物語も手に汗握る感じになるから不思議だ。とりわけのお気に入りは「学校にまにあわない」だ。
 百万階建ての ビルディングの建設 階段だけしかない それだけの為の建物
 ライト兄弟の 飛行機が何百台も 赤トンボのように 横をすりぬけてゆく
 ロッキー山脈のふもとの 小さな村の人々が アリのようにす早くうごめくのが 肉眼ではっきりみえる
 夢うつつの作業現場 鉄のぶつかりあう音 建築の快感 目的の遂行
 ある日足場踏み外して そのままの姿勢で墜ちて行く 三年前建築した階 四十年前建築した階
 でも下には網が張ってあって 僕はうまいことフィニッシュを決めるのさ
 満場のお客様が いっせいに拍手拍手
 でもしとりだけ 後ろを向いている男がいるぞ こいつ前にまわってのぞきこんでやれ
 あ なんだ僕のお父さんじゃないか
 年賀状を配っていく 家族だけの元旦 玄関にはしめ縄で ほかの人を入れなくしておく
 みんなと遊んでいた うちの近くの第三公園 ひょいと頭 持ち上げると 真夜中になっている
 ジャングルジムにからまってた 僕のまっ赤なゴムの友達も
 何の挨拶もなしに 東北の家に帰って行ってしまった
 倒れたラクダの 目玉だけが生きててギョロリと僕を見ている
 みないようにみないようにしているのだけど どうしても見てしまう
 ミタナ ボクノ オモイデ キミハ キョウ カワニ ドブント オチルヨ
 ボクハ クサノシゲミデ キョウカショヲ サガシテル
 キョウカショガ ミツカラナイ ガッコウニ マニアワナイ 
 ノートモ ドッカ イッチャッタ センセ ニ オコラレル
 学校にまにあわない・・・
作詞は裸の大将的風貌の石川浩司で、自ら歌っているのだが、話が展開して行って最後には絶叫気味に、狂人の如き歌い方。独り言とも科白とも知れぬ長いお喋りも入っておりその高揚感と緊張感は絶妙で、感嘆するばかり。次席は「ロシヤのパン」だ。
 お母さんはロシヤのパンを焼く 台所をいい匂いでいっぱいにする
 柱時計の針をなおしてる僕を アルトの声で呼んでる
 お母さんはロシヤのパンを焼く おやつはいつだってトラピストクッキー
 お姉さんはサンバを踊ってる 夜には巨きなベッドで眠るよ
 お母さんが僕を呼んでいる 僕の名前が山にこだまする
 お姉さんは僕を抱きしめてる いつまでもこのままでいたかったのに
 お母さんはロシヤのパンを焼く
こっちは知久寿焼(ちなみに読み方は、ちく・としあき)独特のねちっこい歌い方で、楽しい。何でロシヤのパンなの?
彼らの用いる楽器は、はもにか、おるがん、ぴやの、ぴやにか、あこーでおん、たてぶえ、まんどりん、ぎたー、べーすや、素朴な打楽器などだ。奏でる音には隙間がいっぱいありそうで、実はかなり緻密。とにかく、いつまでもとっても気になるコトバとおんがくだ。