感傷癖

何ヲ思フ・・・

天安門事件から15年。
僕が欧州から帰国した年に発生した大事件だし、中国ビザのことで巴里で悶々としていた思い出もあり、極めて印象的な年だった。事件の発生は中華街で売られていた中国語新聞「星島日報」で知った。日に日に悪化する状況は紙面に踊る漢字の感触で手に取るようにわかったし、民主化運動の支持者が一番多かったのが巴里ということもあって、特定の地域ではかなりシンクロしていたのだ。
とにかく事件は起こり、新聞の見出しが赤から黒に変わり、亡命した活動家の何人かが巴里にやって来て毎日のように集会を開いていたし、そんなうちにもフランス革命200周年記念のパリ祭のプレイベントが重なり街は騒然とし、過熱したままの夏だった。
「自由」「平等」「博愛」の国是が漢字で張り出された巴里の街。屋根歌部屋の湿ったベッドで、発行されるあてのない中国ビザを待っていた虚ろな日々が昨日のことのように思い出される。
ベルリンの壁の崩壊も続き、苦しくも劇的な時代の一コマだったな。
妙にしみじみとしたりける梅雨前夜なりけり。