旅する者そ

舊暦文月六日のカワカブ回顧

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
今回、諸事情あって小林 尚礼氏の『梅里雪山 十七人の友を探して』山と渓谷社 (2006年刊行)を再度購入。
荘厳な梅里雪山の主峰カワカブ(チベット語「白い雪」)を自ら伏し拝んだのは2006年8月30日の夕刻のこと。雲南からチベットに抜ける茶馬古道の宿場町である徳欽(デチン=標高3350m)市街地を出てから小さな渓谷を越えて40分ほど登って行くと、大峡谷の対岸に超然と、梅里雪山が出現した。
乗ってゐたのが現地民用のローカルバスだったため、展望の利く邊りで下車して撮影を・・・などと言ふことは叶はなかったものの、飛来寺近くの道が大きくカーブしたところに作られた小さなオボ(石積み塚)を通過する際、僅かにスピードが落ちた数十秒の間に此の1枚を撮影することが出来たのだ。
カン・リンポチェ(カイラス)然り、ナムチャバルワ(天の逆鉾)然り、チベット人が聖山として崇める山々はどれも超然泰然としており、聖なる所以の説明を一切要しないものばかりだ。
梅里雪山について検索してみると、当然日中登山隊の遭難記事(小林氏による情報発信が殆ど)と同時に、捜索の起点となった明永氷河末端部に見学用の展望デッキが出来てゐることや、立ち寄ることのできなかった飛来寺の様子を紹介したブログなどもあって、ああ今は第一次的な情報の入手は斯くも容易になりたるけりやの感慨頻り。しかししかし、いくら電脳上で詳細な現地情報など仕入れても、矢張り旅は自らの肉體と神経を現地にまで運び置いてのみ完遂されるものであると思ふ。風土の中に實體を浸した者だけが、精神への昇華と眞のノスタルジアを追體験することが出来るのだ。
とまれ、ふと身近なまう一冊、中村保氏による『深い浸食の国―ヒマラヤの東 地図の空白部を行く』(2000)の表紙を見ると、こちらも雄大なカワカブと明永氷河の情景であって、今更のやうに我が旅のサンチマンタリズムを掻き立てられるのであった。
 

↑徳欽を出て小一時間、峠が近付くにつれ、行く手に梅里雪山が其の勇姿を現す。
 

↑幸運にも八雲湧き立つカワカブの頂上から氷河に端を發する手前の氷瀑まで、数千メートルを一望することが出来た。
 

Wikipediaの梅里雪山で用ひられた主峰カワカブ(太子峰/卡瓦格博、6,740m)の畫像を転載させていただく。
 

↑地理的には世界自然遺産である「三江併流」地域の北部に位置する
三江併流 - Wikipedia
 

 

 

 
http://www.k2.dion.ne.jp/~bako/index.html

梅里雪山―十七人の友を探して

梅里雪山―十七人の友を探して

文庫化されとった。(Kindle電子書籍版もあったよ) 
↑両者の山岳に對するアプローチには専門分野を越えた共通點が有って、其れは各著者の人生を構成する重要因子であるてうことだ。