宿題日和

舊暦神無月十九日は晴れましたね

 

 

 

 

 

今日も此の金目鯛色の夕日を見たけど・・・

晩餉は牡蠣の酢の物になりました
 
 
 

 
ここで先日の宿題をば。思ひつくままに書いただけなので、脈絡や結論を求めてはいけません。
 
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同じピリオド奏法系の指揮者でも、其の幅や程度や解釈の範囲は広く、さまざまだ。
ノリントンonTVの翌日にパーヴォ・ヤルヴィの生演奏を聴くことの出来た我が身の幸せに感謝するばかりだが、確かに聴衆を引きつける「何か」を持った指揮者であった。
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パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦樂團
2014年12月8日(月)18:45開演 @愛知縣藝術劇場コンサートホール
【出 演】 パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)、ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦樂團、諏訪内晶子(ヴァイオリン)
【曲 目】 ブラームス:大學祝典序曲 op.80
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調op.64
ブラームス交響曲第1番 ハ短調 op.68
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先日のNHKクラシック音樂館の感想で、ロジャー・ノリントンによるベートーベンの第7交響曲を聴いた上で、「ブラームスの作品まで此の奏法で演奏されたらたまらない(=勘弁して欲しいの意)」と書いたばかりだが、あれはあくまでもノリントン式のピリオド奏法でのこと。(12月7日の記事参照)
パーヴォ・ヤルヴィavecドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は誠に独特なもので、単に弦樂器におけるビブラートの抑制だけに留まらず(よく見ると微妙にビブラートしてる演奏者も多い)、緩急抑揚及び演奏速度の自在さや自由さ、弦と管の一體感、そして最後に運動體または表現者としての指揮者の能力(才能+技術+α)が相俟って、聴く者を魅了する。
それにしても名古屋の聴衆もそこそこ熟してきたらしく、舞台上にオーケストラ團員が入場し始めた時から可成りのボリュームで拍手が續く。全員が勢揃ひして音合はせをし、そのまま指揮者の登場を待つ・・・と思ひきや、全員が立ち上がり一糸乱れず深々とお辞儀をするではないか。多くの場合は指揮者登場後に、全團員を代表して指揮者が一礼するのだが、これには驚いた次第。其ノ後パーヴォ・ヤルヴィの登場となり、會場は割れむばかりの拍手。
今回の配置は、向かって右側には打樂器群が、中央から左側は弦樂器が陣取ってゐる。ヴァイオリンの背後左側にはコントラバスが居り、チェロは指揮者正面に。最後列は左右に金管樂器が管樂器を夾むやうに居る。此のやうな配置も關係し?指揮者はステージの右側から出現したのであった。
第1曲目は大學祝典序曲で、オーケストラにとってみれば特に難しい曲でも無いのだらう。人数の割に弦の音壓を感じることが出来たのは3F正面第1列てう座席の位置も關係してゐるのかな。兎に角ピリオド的要素を感じる間もなく、聴き慣れた主題を自在に操っていくパーヴォ・ヤルヴィの手腕に驚くばかり。あれよと曲は終はり、当然大拍手。彼の常なるかは今まで意識して見てこなかったので不明だが、パーヴォ・ヤルヴィのお辞儀も腰をほぼ90度に折るほどの深さで、しかも数秒の間を置いて起き上がる。其の一連の動きにはキレが有って、見てゐて気持ちが宜しい。
續く第2曲目は天下の名曲でしかもソリスト諏訪内晶子。椅子の再配置が終はり、團員のもぞもぞが一段落した頃合いを見計らって、諏訪内嬢と遅れて指揮者が登場すると、會場これまた割れむばかりの大拍手でお迎へ。長身の諏訪内嬢が纏ふロングドレスは紫色のベルベットに銀かプラチナのラメが鏤められてゐるやうで、此の上無く美しい。殆ど聞こえなかった2小節のイントロ直後、あの切なくも美しいメロディーが彼女のストラディヴァリウス「ドルフィン」(1714年製) 恐らく何百回も演奏したであらう此の名曲に要する超絶技巧はあらためてスコアを見るまでもなく、また流石に諏訪内嬢までもがピリオド奏法による演奏てうわけではなかったものの、有無を言はせぬ技術力と奏でられる音のカリスマに、聴衆も魅了されてしまった様子。演奏終了後も拍手が鳴り止むはずが無く、樂團員も樂器ではなく聴衆の如く拍手をする者も居り、そんな称賛に満ちた雰囲氣が樂しかった。アンコール演奏はバッハのヴァイオリンソナタ3からラルゴ。微睡みの調べ。メロディーの息継ぎを殆どしない独特の演奏でビブラートも少なめ。ひょっとしたらピリオド奏法を意識してのことかしらむと勝手に深讀みせるらむ。バッハ聴きの我輩好みの演奏では無いが、此の場合はさういふことは関係無いのである。
ここで20分の休憩時間あり、アナウンスによると此の休憩時間中のみ、諏訪内嬢のCD買った人に特別サイン會有りとのこと。後ろの座席に居た若夫婦(今回のコンサート、老夫婦がかなり多いが夫婦やカップルまたは家族で来られてゐる客が非常に多い)が慌てて特設會場に向かって行った様子。
さて、このコンサートのメインメニューと問はれると回答に困るな。或る者にとっては諏訪内嬢のメンデルスゾーンだらうし、我輩のやうにこれから演奏されるブラームスの第1交響曲と言ふ者も居らう。そもそもこれらの偉大な名曲を比較することなど無理なことであり、意味も無い。實際には、我輩の左隣に座ってゐた年配夫婦は、諏訪内嬢の演奏終了と同時に感動した旨の短い會話を為して出て行ったきり、休憩後も戻って来なかった。(此の件には意外な顛末があるのだが、それはまた後日てうことで。)
やっとブラームスの第1交響曲に辿り着きましたね。冒頭のティンパニは控えめ。第一樂章から全ての繰り返しを樂譜通りに演奏。ブラームスが練りに練ったはずの樂曲だが、調正と主題の連續性に無理有りてうことに氣付く。展開部以後は自在極まる演奏で、え、此処でソステヌートかけるの?!てう驚きが何カ所かあったものの、そのいずれもが嫌味無く、さうする方法もあることに今まで自分が氣付いてゐなかっただけのこと。それに、此の偉大な第1交響曲の第一樂章内に既に超級偉大なベートーベンの第5交響曲の例の運命のモティーフが執拗に仕込まれてゐて、それが後半の盛り上がりに大きく關與することも改めて實感、てうか實體験することが出来た。(今までは楽譜上の認識のみであった)
弦の多彩さと深みを表現し尽くした第二楽章では、矢張りビブラート無しの重層と對位法の各声部が明瞭で素晴らしく、オーボエも些か可憐に聞こえるほど。成る程、此の配置だとピチカートも位相確かに聞こえるものだな。後半のヴァイオリンソロは勿論コンサートマスターだけど小柄な女性だ。最初の部分のホルンとのオクターブが素晴らしい。一寸控えめな表現なので、もちょっと前面に出て来てもよかったかも。ホルン奏者も女性のやうだが、音の揺れ無く丸みが有って暖かな音色で、完全にこのオーケストラのムードメーカーであるなと思った。(彼女の演奏するチャイコフスキーの第5交響曲第2楽章のホルンソロを是非聴いてみたい) 
第三楽章は或る意味クラリネット協奏曲な部分が多いけど、オーボエファゴットコントラファゴットもあったっけ?)と共に一體感溢れ大いに體を揺らしてノリが良い。ともすればフィナーレよりも音量の上がりがちな此の樂章を、ほどよく抑制できたと思ふ。そして約5秒の間を置いて第4楽章に。これはまう樂曲の持つ稠密で劇的で優雅な曲調を、パーヴォ・ヤルヴィ流に見事に捌いたとしか表現出来ないのだが、終盤の「ドッシドドッシド」が續く部分で感動したのはベーム以来のことだな。兎に角ブラボー屋が五月蠅かったけど、余りにも感動的な演奏でありました。
↓ここここ!

因みにアンコールはハンガリー舞曲×2(第3番&第1番)で、それでも猶拍手を續ける観客に對し、胸の邊りまで上げた掌でバイバイの仕草をし乍ら袖に帰って行くパーヴォ・ヤルヴィの姿が何ともお茶目で宜しう御座ゐました。
いやはや、音樂の演奏会を文字で形容しコトバで書き表すほど虚しく其の大半は徒労に終はるのだらうけど、我輩の場合は今の時点では、これ以上もこれ以下も書けません。
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以前にも何度か、パーヴォ・ヤルヴィの演奏について言及したことがあった。其の最古の記事は2008年9月5日であるが、何故かそこでは「堅実だが面白味に欠け、エスプリの輝きも見られないため余り好きではない。」と一蹴してゐる。↓
易水 - DAYS of The Day After Day
 
2010年12月24日の記事では、俗称「運命」の演奏に溜飲の下がる思ひとの感想を書いてゐるし、注釈では、「マークしておく必要がある」などと、一轉して大評価に變化してゐる。此の2年間に何があったのかは定かでは無いが、「お互ひに成長したのだらう」とお茶を濁しておかう。↓
”M”の運命と”B”の系譜 - DAYS of The Day After Day
 
これら自分の書いた記事を勝手に解釈すれば、2008年時点では、フランクフルト放送交響樂團との相性や、演奏樂曲がブルックナー交響曲第7番であったてうことも、我輩の評価に不利に作用したのだと思ふ。いずれにせよ今回以前の評価は放送やCDを聴いた上でのことなので、そもそも演奏會(生)での評価と並べること自體が無意味であるのかもしれないね。
ついでに、パーヴォ・ヤルヴィプーチン大統領の相似性を指摘した【おまけ】がごく一部のマニアに好評だった10月21日の記事に載せた畫像も見ておいて損は無いだらう。↓
特段に何か - DAYS of The Day After Day
 
かしこ