運命の石の命運

舊暦八月二十七日は準備中

 

 

 

 

 

 

 

 

今夜は烏賊と韮の茎とオクラの炒め物ですがなにか
 
 
 

神話思考〈1〉自然と人間

神話思考〈1〉自然と人間

 
****************************
 
スコットランドの獨立を問ふ住民投票は、反對票が勝り當面の獨立は回避された。
しかし、世界に對して絶大なインパクトを與へたてう意味に於いては、獨立派の思惑は成功したに等しいと思ふ。自治権の擴大はほぼ確約されたと理解して良いし、賛成が半数未満だつたとは言へ、スコットランド人としての矜持は保たれたと思はれるのだ。
それにしても氣になつたのが「スコットランド民族黨」なる名称だ。Scottish National Party てうのが正式名称とのことだから、本来なら「スコットランド國民黨」と譯すべきではないか? 察するに、それでは英國議會の中に別の國家政黨が存在することになつて仕舞ふからか、「民族」と置き換へたのだらう。しかし、日本語で「民族黨」と置き換へても、原語での”National Party”は可成り國家的色彩を帯びた政黨名であらうから、端っから獨立性を内包した政黨名として誕生したのだらう。
スコットランド」そのものに關しては、ラテン語ではCaledonia(カレドニア)、ゲール語ケルト語)ではAlba(アルバ)と言ふのでややこしい。本命のScottlandはアングロ・サクソンサイドからの名称てう感触が強いが、歴史的にはアイルランドと一體化した部分も有る。
さう言へばキャメロンはロンドン生まれのオックスフォード大学卒、早い話が典型的なイングリッシュお坊ちゃまだ。ところが先代のブラウンはスコットランドグラスゴー生まれでエディンバラ大学卒。その前のブレアも同じくスコットランドエディンバラ生まれ。實は今回の獨立騒ぎ?には、此のブレアが無意識に仕掛けたディープな伏線が有るのだ。
トニー・ブレアはオックスフォード大學在學中にはハードロックバンドでボーカルを担当してゐた愛すべき人物であり、好んで聖書を読む首相として知られてゐた。多くの國民が予想した通り、首相引退後には英國國教会から妻子と同じカソリックに改宗し、歴代首相の中ではいちばん宗教への関心が高い人物と言はれてゐた。
彼がスコットランド出身であることを考へれば、Stone of Sconeの存在を知ってゐて当然だらう。スクーンの石は運命の石とも呼ばれ、其の来歴は極めて数奇だ。元は聖地パレスチナにあり聖ヤコブが頭に乗せたという伝承がある此の石が、いつ誰に因ってどのやうにエイリーンことアイルランドに齎されたのかは不明だ。6世紀の初め頃にスコット人ファーガスによって現在のキンタイア岬邊りからスコットランドに運ばれ、以来この石は、スコットランド王家の守護石とされた。

 
846年にケネス1世がオールバ王国の王を兼ねるようになると、運命の石もダルリアダ王国の首都ダンスタフニッジより新首都スクーン(現在のパース近郊)の王宮に移された。これ以降、スクーンの石と呼ばれるようになる。
 

ウェストミンスター寺院に置かれたスクーンの石
 
スクーンの石は、1296年にエドワード1世によってイングランドに戦利品として奪い去られた。その後この石は木製の椅子にはめ込まれ、ウェストミンスター寺院に置かれることになった。その後、この椅子は戴冠式に用いられるようになり、代々のイングランド王は、スコットランド王の象徴であるこの石を尻に敷いて即位することになる。
スクーンの石がイングランドに奪われたことは、スコットランドの人々にとってはイングランドへの敵対意識を高めることになり、1950年にはスコットランド民族主義者による盗難事件が発生している。最終的に石は発見され回収されたが、犯人グループによる運搬中に、2つに割れてしまっていた。
1996年、トニー・ブレア政権によりスクーンの石は700年ぶりにスコットランドに返還された。現在は、エディンバラ城に保管されている。(Wikipediaからの部分引用)
 

要するに、スコットランド人であるブレアが、スクーンの石をイングランドから奪還し、エディンバラに戻したのだ。
此の一件が、今回の獨立氣運の伏線となってゐたことは、100年後の歴史家に因って記録に残され、スコットランド王國の重要な歴史的事件として記憶され續けることだらう。
このやうに、歴史とは人知れず音無くしかも確實に、胎動を續けてゐるものなのだ。