嗚呼墨打つ人よ

舊暦七月二十九日の秋の梅雨空

 

 

 

 

 

 

 
今宵の「クラシック音樂館」は山田和樹指揮 スイス・ロマンド管弦樂團 来日公演
1:Rare Gravity(藤倉大作曲)【世界初演
2:バイオリン協奏曲 二長調 作品35(チャイコフスキー作曲)バイオリン:樫本大進
3:幻想交響曲 作品14(ベルリオーズ作曲)
管弦楽:スイス・ロマンド管弦楽団 収録:2014年7月8日 サントリーホール
1曲目には何らエスプリを感じられず。そもそも世界初演であらうが指揮者に捧げられた曲であらうが、作曲者が演奏後のステージで得意満面に自己アピールする必要は無い。
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲、此の曲に因って初めて、樫本大進の骨太さと言ふかふてぶてしさと言ふか演奏能力の高さを思ひ知った。リズムに多少オーケストラとの均衡を欠く部分が数カ所有ったが、これは指揮者側の問題だらう。とりわけ第1楽章のカデンツァ、和音のグリッサンドで下降する部分の粘り気の強さ、てうか強かさと重厚さに壓倒された。それにしても1979年生まれにして此の風格。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターとして、多少面白味に欠ける人物だらうが、當分は極めて堅實な存在感を保ち續けるに相違無い。
幻想交響曲はどの樂章も表情豊かで、此の管弦樂團の重要なレパートリーとして常に演奏され續けてゐる作品であることが推測される。妙な加速や減速も特に無く、ごく一部のリタルダンドは恐らく指揮者の指示によるものであらうが、樂團員にしてみれば「いつも通り」の演奏の範疇なのだらうな。其処ら邊は歴史の強みだらう。
それにしても先日のアシュケナージの時もさうであったが、演奏後にオーケストラの團員をパート毎に立たせて拍手を受けさせる習慣が世界的に常態化しつつあるのだらうか。我輩としてはあまり好きな風習ではなく、場合によっては単にアンコールをしないてう意思表示の一部としての時間稼ぎに見えて仕舞ったりする。勿論、余程特殊なソロ的活躍のある曲(例へばリヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』「第三部:英雄の伴侶」におけるソロ・ヴァイオリンとか、チャイコフスキー交響曲第5番第二楽章に於けるホルンのソロの演奏者など)の場合は、其の演奏が素晴らしかった場合に限りソリストを立たせて讃えればよいが、フツーの曲のフツーの演奏會なら総員起立で指揮者が代表してお辞儀する、それだけでよいではないか、などと思ふがどやね。
 
 

現代の肖像 樫本大進 eAERA

現代の肖像 樫本大進 eAERA

 
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【おまけ】

どんだけ走っても外の景色が変わらんことに氣付いてしまったハム太郎の仲間