累々抄

舊暦四月七日
季節の狭間の曖昧な大氣の移ろひ
時に激しく降り、次の刹那には小糠雨
脱力した虚ろな心も
路傍の水溜まりの水面を漂ふ木葉の如し

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 
オランジーナ創業者が逝去、国民的炭酸の誕生秘話とは
2013年12月17日 07時00分(日刊アメーバニュースより)

オランジーナの考案者であり創業者のジャン・クロード・ブトンさん(88)が今月2日マルセイユで亡くなった。オランジーナとは2012年から日本でも売られているフランスの炭酸飲料のことだ。そこでオランジーナとジャン・クロード・ブトンさんの軌跡をまとめた。

ジャン・クロードさんは1925年、当時フランス領だったアルジェリアの首都アルジェから約30kmの町、ブファリックにある商家に生まれた。1935年、マルセイユの見本市を訪れたジャン・クロードさんの父レオンさんは、後の成功へつながる転機と出合う。スペイン・バレンシアの薬剤師オーギュスタン・トリーゴさんと知り合い、濃縮オレンジと砂糖入り炭酸水、外皮から抽出したエッセンシャル・オイルをわずかに加えたナランジーナ(スペイン語で小さなオレンジという意味)という飲料を開発したのだ。

ナランジーナの魅力に取り付かれたレオンさんは、そのレシピの権利をトリーゴさんから買い取ってブファリックへ持ち帰り、翌1936年に商標登録してアルジェリアで商売を始めた。しかし、スペイン内戦と第二次大戦という時代背景も重なり、同飲料のプロジェクトは中断してしまう。

農業技師になった息子のジャン・クロードさんは、1947年に幼年時代の思い出であったナランジーナを復活することに決め、ナランジー北アフリカ社を設立した。独特な丸みを帯びたデザインのボトルに、ブファリック産オレンジから作られた飲料を詰めて売り出したのだ。その後、オランジーナと名前を変えたオレンジ飲料は、1951年に仏領アルジェリアからフランス本土へも渡った。

周知方法も効果的だった。グラフィックデザイナー、ベルナール・ヴィユモが地中海をイメージして描いたポスターと、その特徴的なボトルはオランジーナの名声を高めることに貢献した。1957年には5000万ボトルがフランスで売られ、アルジェリアにも再上陸するなど、黄色の小さなボトルはカフェのテーブルに広まっていった。

1961年、仏領アルジェリアの独立が迫ることに従い、オランジーナはフランス本土に会社を設立する。急激に大きくなった同飲料は、1975年に5億ボトルが売られるまでに成長した。1978年には「オレリア(Orelia)」というブランド名で米国にも渡った。

しかし1984年になると、オランジーナは蒸留酒メーカー・ペルノ・リカール社に買収され、同社の傘下に入った。ジャン・クロードさんの娘であり、後にペルノ・リカール社の広報責任者となるフランソワーズさんも、同社に入社している。そしてフランソワーズさんは、世界的有名になるダンス音楽・ランバダをタイアップさせる大々的な広告キャンペーンを1989年にして、成功も収めている。

その後オランジーナは、2001年にペルノ・リカール社から英キャドバリー・シュウェップス社に買い取られ、2006年には英投資ファンド、ライオン・キャピタルとブラック・ストーン・グループの手に渡った。そして2009年に日本のサントリーが買収し、2012年から日本でもオランジーナは販売されるようになった。

ジャン・クロードさんは仏政府からレジオン・ドヌール勲章グラントフィシエを授与されている。またオランジーナの名誉会長を長年務めた後、1990年代に入ってからはボルドー近郊ラランド・ド・ポムロールのワイナリー、シャトー・グラン・オルモーを買い取ったり、オリーブ栽培に投資するなど新しい人生を始めていた。仏フィガロ紙によれば、今後は娘のフランソワーズさんが引き継ぐ予定だという。
(加藤亨延)
 

 
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