ヨジレマイオスの罠

舊暦正月六日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晩餉はまたまた鰊蕎麦
 
 
 

佐村河内守:交響曲第1番 HIROSHIMA

佐村河内守:交響曲第1番 HIROSHIMA

 
藝術の本質は境界線の引けない曖昧な領域にあります。
その価値は「全聾の天才作曲家」だの「現代のベートーヴェン」などと言ふコピーライトにあるのではなく、多くは元来金銭などには換算不可能な世界の産物であるてう前提が、端っから抜け落ちてしまってゐるところに罠があるのです。
勿論、「廣島」とか「被曝二世」「ホームレス」「自殺未遂」といった、彼の過去の経緯に興味を持った人も居ることだらうが・・・
 

 
耳が聞こえない障害を乗り越えて作曲しているとして、CDが異例の売り上げとなっている、 佐村河内守さん(50)が、代表作の交響曲などを別の作曲家に作ってもらっていたことを、 5日未明、弁護士を通じて発表しました。

佐村河内守さんは広島県で生まれ、独学で作曲を学び、耳が聞こえない障害と闘いながら 作曲活動を続けているとされています。平成20年に初めて演奏された「交響曲第1番 HIROSHIMA」は、「希望のシンフォニー」として、特に東日本大震災のあと注目を集め、 CDが18万枚以上の売り上げを記録するなど、クラシックとしては異例の売り上げとなっています。

しかし、5日未明、佐村河内さんは弁護士を通じて、十数年前から別の作曲家に曲を作って もらっていたことを明らかにしました。これについて佐村河内さんは、NHKの取材に対し 「平成8年ごろ、初めての映画音楽の作曲の依頼があったが、耳の状態が悪くなり、 半分以上を作ってもらったことがきっかけだった」と説明しています。その後も、このときに 知り合った作曲家に、曲の構成や楽器の編成、曲調のイメージを伝え、作曲をしてもらう形で 作品を発表し、報酬を渡していたということです。佐村河内さんは「自分は楽曲の構成をしたが、 作曲をゴーストライターに任せてしまったことは、大いなる裏切りであると思っています。
ファンや深く傷つけてしまった方に、心よりおわび申し上げます」と話しています。
平成8年以降に佐村河内さんの作品として発表された曲としては、「交響曲第1番HIROSHIMA」 のほか、東日本大震災のあと、被災地で交流していた少女のために作曲したとされる 「ピアノのためのレクイエム イ短調」や、それを発展させた「ピアノ・ソナタ第2番」などがあります。
また、ソチオリンピックに出場するフィギュアスケート高橋大輔選手が、ショートプログラムで 使用する曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」も、おととし発表しています。

佐村河内さんの代わりに作曲していたとされる作曲家に対し、NHKは取材を申し込んでいますが、 これまでのところ回答はありません。
                     (NHKweb NEWSより)
 

 
「現代のベートーベン」佐村河内守氏のゴーストライターが語った!
 広島生まれの被爆二世で「全聾の作曲家」として知られる佐村河内守氏(50)が、実際は自分で作曲をしていなかったことがわかった。

桐朋学園大学作曲専攻で非常勤講師を務める新垣隆氏(43)が週刊文春の取材に応じ、佐村河内氏のゴーストライターをしていたことを明かした。

 佐村河内氏の代表作とされる『交響曲第一番HIROSHIMA』や、フィギュアスケートの郄橋大輔選手がソチ五輪ショートプログラムで使用する曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も、新垣氏が作った楽曲だった。

 新垣氏はこう語った。

「公表するべきか逡巡しましたが、やはり事実を明らかにして自分もお詫びしなければならないと思い至りました。このまま事実を伏せ続ければ、五輪という大きな舞台までもが佐村河内氏の虚構を強化する材料にされてしまうのではないか、と」

 また、昨年3月に放送されたNHKスペシャル『魂の旋律〜音を失った作曲家』では、佐村河内氏が東日本大震災の被災地を訪ね、津波で母親を失った少女のために『ピアノのためのレクイエム』を作曲する様子を密着取材したが、この曲も佐村河内氏の指示で新垣氏が作曲したものだった。番組では、佐村河内氏は「全聾」ながらも「絶対音感」を持つ「現代のベートーベン」と紹介された。

 新垣氏は近く会見で謝罪する。
                (週刊文春WEBより引用)
 

 
我輩は、彼の言ふ「曲の構成や楽器の編成、曲調のイメージを伝え、作曲をしてもらう形」の創作活動も有りと思ふ。ゴーストライターと言ふか、代理作曲人の新垣氏も、佐村河内氏てう存在や契機、指示や現像が無ければ作品化することは出来なかったのだと思ふし、ヴィジョンの共有とでも言ふべきか、今流行のコトバで言へばコラボレーションとでも言ふのかはさておき、マスコミやメディアが作品の価値そのものよりも、佐村河内氏を取り巻く周邊事情に重きを置いて喧傳した結果の注目と流行を、恰も本人が詐欺師であったかの如く今回の告白を報道する態度はいけ好かない
マスコミ自らの反省はさておく経緯はそれこそ毎度のことだが、藝術とは何かてうことを考へるには良い機會であらう。
 
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【おまけ】