訓戒の構造と対策

舊暦霜月十八日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
何が良いことで何がよくなかったのかてうことは、千年経ってみればわかることだから、今つべこべ言ふ必要は無い。
其の頃迄に現在の言語は意味不明になってゐるだらうから、文字に因る詳細な記録は余り意味が無い。
況してや地球上のデジタル情報など、数十年後に發生する太陽の超巨大フレアに起因する磁気嵐によって壊滅的状況となり、記録としての意味を為さなくなって仕舞ふことだらう。
事實、30年前に購入した音樂CDの何枚かは、既に再生不可能となってゐるが、江戸時代の古文書は解讀不可能乍らも美しく残存してゐる皮肉も、今や日常茶飯事のこと。
ただ、巨大隕石の落下はさておき、不断に發生する地殻変動や大氣圏内の風化現象に耐えた石材だけはほぼ確実に千年も残るだらうから、人間はそれを遺跡として検證すればよいだけのことだ。
人間の歴史や其の痕跡など、實にささやかなものだ。
そもそも人間そのものだって、例へば家庭の小さな小さな小さな湯船に満たした湯に身を浸すだけで刹那の安らぎと幸せを感じるほど、ささやかな存在なのだ。
これほどささやかな存在である人間の為せる無意識の技の堆積が歴史そのものなのだから、人間が不在となった遺跡は最早歴史では無いのかもしれない。
しかし人間には想像力と幻視力が遺伝子領域に秘匿されており、無人の荒野に風の上人を観ずることもあれば、並べられた石に昔日の神話を見ることもある。
そんな人間意識の無意識且つ無数な共鳴こそ、宇宙の眞空をも超越する時間の流れとしての歴史なのかもしれない。
忘れ去られた古墳の復元に果たしてどれほどの意味が有るのだらうか?
そんなことは今評価する必要は無い。
どうしても知りたければ、ただ千年待てばよいだけのことなのだ。
ただそれだけのことなのだ。
 

 
 

 
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【おまけ】

日本が平和で異端であるてう證拠筆頭