Bなる人の音樂についてのあれこれ

舊暦10月15日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
今日もまた昨日同様快適なる氣候にて、午後からは或る市民オーケストラの演奏會に出掛けた。
愛知縣藝術劇場コンサートホールに侵入するのは約1年ぶりのこと。一階正面邊りと二階正面席は既に満席の為、今回は舞台正面に鎮座するパイプオルガンの真下に座ってみた。
嘗て短期間潜伏してゐたBERLINのPhilharmonie Berlin Grosser Saalでも、指揮者の小澤征爾を正面に見据える同様の席で聴いたことがあるが、其処はPODIUMSPLATZEと呼ばれてゐた。サントリーホールにもオーケストラの背後に可成り廣めの座席空間があるが、其処はPブロックと呼ばれてゐたと記憶してゐる。此のPは屹度、PODIUMSPLATZEの略なのだらう。
さておき、肝心のプログラムは、前菜にウェーベルンの「夏の風の中で」、主菜はブルックナー交響曲第8番であった。軽やかで爽やかな前者はともかく、重厚長大で見通しの利かない不安に満ちた後者は、まったくいただけない。
いただけない、と言っても演奏がいただけないワケではなく、我輩の嗜好する音律にそぐわないとでも言ふべきか、矢張り昔から鬼門であったブルックナーは、人生の後半期に差し掛かっても猶、鬼門であり續けるてうことを再認識させられた。とまれ、早い話が「苦手」な作曲家なのだ。
何だらう、此の形容し難ひ閉塞感。和聲が消失してゐるわけでも無調正なわけでもないが、全ての旋律が無駄に長く、繰り返しの快感や高揚は無く、ひたすら鳴り響き續ける。不快な和音の堆積が個體のままほぼ正面から際限なく當たり續ける息苦しさ。全く我輩の情緒には感應しない領域の「音」であることは確かだ。
結局4つの樂章のいずれにも癒しや慰め、希望や喜びは無く(第3樂章のAdagioにさへ!)、苦痛に満ちた約60分であった。屹度、演奏者にも苦痛を強いてゐるに違ひ無い。
そんなこんなのあれこれで、演奏會終了後には黄昏れて行く都會の風景を愉しむべく、展望回廊を巡ってみたり若宮大通まで南下してみたり久屋公園の紅葉を眺めてみたり、摩天楼の彼方に滿月の出現するまでの二時間近くを、のんびりと散歩に費やすのであった。
幸ひ?、今夜のEテレ「クラシック音樂館」はN響コンサート第1760回定期公演から、大学祝典序曲作品80 ハイドンの主題による変奏曲作品56a 交響曲第1番ハ短調作品68(全てブラームス作品!!!)<出演>管弦楽:NHK交響楽団 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット(86歳ですぞ!)と言ふ豪華で贅沢な癒しが用意されてゐたのであったとさ。(-_-;)
ブロムシュテットは決してしなやかで優雅な指揮振りではないが、誠実な感じで好感が持てる。スエーデン系なのでブルンムステットと呼ぶべきかもしれんね。
それにしても今日は全部「B」だ。(-_-;)
 
 
 

 
さう言へば今日の市民オーケストラもN響も、いずれも第1バイオリンの後方にコントラバスを配置してゐたが、今の流行なの?
「クラシック音樂館」のおまけでやってくれてゐる1980年代のブロムシュテット指揮によるベートーベンの第7交響曲の映像では、従来通り?右手奥にコントラバスが居るよ。
それにしてもブロムシュテットの動き、一寸ロボットみたいでダンスが可成り下手さうね。(^^;)
わーい、来週もブラームスだ!
 
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【おまけ】
見よ、これが日本の底力だ!