此の秋雨の由来
舊暦9月16日の雨は深し
毎回思ふことだが、國會議員が靖國神社を参拝する度にいちいち報道する必要が何処にあるのか。
さすがに「公人か私人か」てう不毛な質問は以前より聞かれなくなったやうだが、参拝後のぶら下がり記者會見に於ける議員の返答も「國の為に尊い命を捧げられた英霊に尊崇の念を以てうんぬん」てう模範解答が返ってくるばかりで、報道そのものの意味が全く見出せない。
本當にかういふものを取材だの報道だと思ってやってゐるとすれば勘違ひの極みであり、単に中韓へ、日本に對する攻撃材料を与へるためだけに行ってゐるやうなものだ。そんなこともわからず、ただただ習慣的に此のやうなニュースを放送する暇があるなら、原子力行政の矛盾や盗まれた佛像の周邊事情の取材など、他にいくらでもやるべきことはあるはず。
※参考の為、議員らの言ひ分を文例の如く並べてみる。
「国のために命をささげた英霊に対して、哀悼の誠をささげて、そして、平和への誓いをあらためて表することは、国会議員として当然の責務だと思っております。日本人として、私が参拝することは、当然のことと思っております」
「国のために戦い、倒れた方々に手を合わせて尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りする気持ちは今も同じだ。リーダーとしてそういう気持ちを表すのは当然のことだ」
「国のために戦って命を犠牲にされた方に手を合わせ、尊崇の念を表明するのはどの国も同じだ」
いずれも模範解答ですね。
今年初めて靖国に参拝の議員になぜ昨年は見送ったか問うべきNEWS ポストセブン 9月23日(月)16時5分配信
今年の終戦記念日は、安倍晋三首相は靖国神社の参拝を見送ったが、閣僚3人が予定通りに参拝を行なったことで、やはり中国や韓国から反発の声が上がった。安倍首相には本当に戦没者への「尊崇の念」があるのか。作家の落合信彦氏が解説する。
* * *
日本の政治家の靖國参拝に対して中国や韓国が怒りの声をあげるのはまったくもって筋違いだ。戦没者をどう弔っていくかは純粋な国内問題であり、隣国から横槍を入れられる類の話ではない。だから参拝することは自由だと思うが、残念なのは安倍を含む“参拝派”たちが中韓と同じ土俵で争っているようにしか見えないことだ。
子供が言いがかりをつけるような議論にいちいち応じる必要などない。もし自分の信念で参拝したいと思うのであれば、何も言わずに静かに参拝して手を合わせればいい。それだけのことだ。
それなのに、安倍はわざわざ昨年の自民党総裁選の記者会見などで、
「第一次安倍内閣(2006〜2007年)において参拝できなかったのは痛恨の極みだ」
と表明した。これは中韓のような品位を欠く国家が相手であれば挑発行為になる。国に命を捧げた者たちに穏やかな気持ちで祈りを捧げたいと思うならば、こんな言葉は必要ない。
結局、安倍は参拝を匂わせることで、自らの支持基盤である保守層の人気を強固なものにしようとしたのだろう。政治的な打算に過ぎない。
安倍は戦没者への「尊崇の念」という言葉をよく使う。だが、自分で煽った挙げ句に当日は参拝せず逃げ出すのだから、そこには尊崇の念のかけらも感じられない。
安倍の強硬発言に右翼が盛り上がり、左翼が大声で反論をがなり立てていることを考えれば、安倍の煽りはむしろ、死者に鞭打つ卑怯な行為にさえなる。
総理大臣だけではない。保守系のメディアはこぞって「靖國を参拝する国会議員が増えた」というニュースをさも喜ばしいことのように報じた。昨年の倍の約100人が参拝したという。
しかし、おかしいではないか。本当に戦没者への「尊崇の念」を持つ国会議員であれば、毎年参拝に行くのが自然だ。
結局、参院選などの結果から安倍のような保守路線が人気があると判断し、参拝する者が増えただけである。本来であればメディアは、今年から参拝を始めた議員に「なぜ昨年は行かなかったのか」と問うべきだろう。
※SAPIO2013年10月号
残念ながらほぼ終日可成りの雨降りにて、招待所内に籠城し激しく読書をこなす。
折角の名古屋まつりも、大須大道町人まつりも、露天路上が活用出来ず残念なことでせう。
よって花魁道中の様子も電視機畫面で眺めておりましたとさ。
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【おまけ】
どんどん視力が良くなる検査表だげな