五月新月とりまとめ


臺灣のレシートは基本的にくじ付き。抽選は2ヶ月に一度で、特別賞は一千万元!
 

大陸では違法團體である法輪大法(法輪功)の機関紙「大紀元」も臺灣では故宮博物院前で自由に配布されてゐた
 

蘋果日報」は幅狭縦長の妙な大きさ
 

西門街紅樓に於ける日拠時代の琺瑯看板展示部分
 

奥中央のネクタイの紳士が總統府日本語解説ボランティア氏(總統府中庭にて)
 

S&Bが日本式カレーを大いに宣傳中
 

迪化街資料展示館の解説板は臺灣國語と日本語のみ
 
臺灣、といっても今回は偉人の遊行にしては極めて短期であるし、臺北と其の周辺に行動範囲が限定されてゐたこともあるので、一異邦人が抱く感想は一寸特殊なものかも知れないが、一應あれこれ書いておく。
旅游と称しつつも、個人的な意圖は先の大震災に臺灣市民が我が邦に寄せてくれた絶大な援助に對する御禮行脚でもあった。
さておき、無線Wi-Fi環境に関して言へば、臺北市内はほぼ完璧。しかもほぼ全てのエリアが FREESPOT 状態なので、持って行った MacBook AiriPod touch も何ら問題無くそのまま繋がる。
旅行者にはステキな特典があって、空港の税関出たところの案内所(旅客諮問中心)でパスポートとメールアドレスを申請すればそれがそのままパスワードになってゐて、直ちに利用開始可能てう迅速さ。TPE-Free Public Wi-F- Access
市内の主要交通機関であるMRT(Mass Rapid Transit)=捷運では全ての駅がフリースポット化されてゐるのだが、ホームだけだとかさう言ふけち臭い話では無く、いくつも有る出入り口の地上部周辺にまで電波が溢れてゐるやうで、近くのバス停でも十分繋がってしまった。加へ、全ての公共施設は全てフリースポットである。
勿論、大飯店(ホテル)ばかりかドミトリー型式の安宿でもフロアごとに全て無線環境が整へられてゐるので、何も問題が無い。また、TAIPEI101のやうな超級大厦や巨大ショッピングモールでは別途全館フリースポット化されてゐるのだ。
最後の晩は國際機塲(空港)に近い桃園の街に宿泊したのだが、やはりホテル内は無線環境が整っており、部屋の机にはLANコネクターまで設置してあった。
前回の訪問は2007年であったが、其の時にはさすがに無線環境は殆ど無かったものの、宿の各部屋若しくはロビーなどの共有空間には、少なくともごくフツーにADSLやLAN環境が存在してゐた。
さて、我が邦は如何? 臺北は首都機能を備へた特殊な都市だから、このやうな無線環境は特殊なのだらうか?
我輩はガラパゴス式でもあるし、携帯電話ではインターネット契約をしてゐないので、無線環境は関係無い。しかし、No Music No Life 的體質から常に iPod touch を持ち歩く関係もあって、フリースポットがあると自動検出することも多い。先日までの活動の中心であった名古屋の場合、我輩の知る範囲では、名鐵名古屋驛の地下ホームとJR名古屋驛西口周邊、榮地區オアシス21内部のみがフリースポットであった。勿論STARBACKS珈琲屋のやうに来店客のみにWi-Fiを無料で提供してゐる店は多くなってきたが、それぞれ別個に登録が必要だったり申し込みが必要だったりと極めて煩はしい。
では我が邦の首都である花の大江戸の状況はどのやうになってゐるのだらう。詳しくは知らんが、公共性を帯びた無線環境てう意味では臺北に遠く及ぶまい。此の分野、完全に臺灣(臺北)の勝ちである。
最後に巴里に行ったのがまう5年以上前になるが、其の時既に、所謂名所舊蹟と呼ばれてゐる地點(例へばノートルダム寺院だとかポンピドゥーセンターだとか)では「FREESPOT」表示がされてゐた。實際にWi-Fiでモバイルを操作してゐる若者に一寸話を聞いて画面を見せてもらったのだが、回線速度はかなり遅いものの、十分に利用価値の有るものであった。
(ちなみに巴里市内のネットカフェに於ける有線回線速度は、日本のISDN環境當時を想起させるほど遅いものだった)
次に日本の存在について。
臺灣を語る時に昨今よく引かれることが、東日本大震災に寄せられた義援金の額だ。超大國であり発狂した國家であるアメリカに匹敵する額を惜しげも無く我が邦に寄せる、其の行動の源泉は何?

臺灣人にとって日本は、余りにも日常の一部なのだ。例へばテレビを視てゐても、娯樂番組は言ふに及ばず、報道では國内のニュースの中に何ら違和感無く日本での事件が挟み込まれてゐるし、有線電視即ちケーブルテレビではごくフツーにNHKが放送されてゐる。
街を歩けば日本「の」製品や食品や流行が溢れており、若者は日本のアニメや歌謡曲やファッションにまみれて育つ。さすがに日本語世代は今や80歳前後以上となったので、街で直接触れる機會は減ってしまったが、そんな世代を祖父母や曾祖父母に持つ若者が日本語で會話する状況も何ら不思議では無いのだ。
事實、今回初めて参觀した臺灣総統府の日本語ボランティア解説員の方は78歳であったが、李登輝氏の言ふ日本精神の信奉者であり、孫には正しい日本語を教えてゐると申しておられた。(馬英九などまったく無能でだうしやうもない人物などと、總統府1Fの展示室内で堂々と言ふ大胆不敵さ!)
さう、気が付けば鐵路も水道も街の設計も何もかも、日常に無くては為らない公共設備基盤の殆どが日本時代に整備されたものであることは否定出来ない事實であり、植民地化された状況下とは言へ真摯且つ獻身的に臺灣風土に尽くした多くの技術者たちは、現在でも尊敬すべき人物として顕彰され續けてゐる。毎年顕彰祭が開催されてゐる水利技術者である八田 與一などは、其の好例であらう。
兎に角、少なくとも臺北あたりの都会で普通に生活してゐると、日本は余りにも身近な存在であり、必要欠くべからざる存在でもあるのだ。日剰の些細な部分を見ても、コンビニも、食品も、衣服も、流行も、何もかも日本が關係してゐない分野は無いと言ってもよい。
今回も臺灣での會話はほぼ全て所謂「國語」(標準中國語)に近い普通語を用ひたのだが、日本人であることを證し先の3.11に對する御礼を述べつつ會話を進めて行くと十中八九、「日本好!」(リーベンハオ)ou 「日本頂好!」(リーベンティンハオ)=「日本はいいね」「日本はすごくいい」てう表現を聞くことになる。そんな現象は最終日に宿泊した桃園のホテルや、早朝に機塲まで送迎を頼んだ出租車TAXIの運転手(かなり癖の強い臺灣語しか喋れない)との會話にまでも續き、流石に此の偉人をしても可成り戸惑はせたのである。
「一體日本のどんなところがそれほど好(ハオ)なの?」と。
更には、其の褒め言葉には何ら外連も嫌味も下心も無く、ごくごく普通に發せられたものが大半であると感じられた。此の感覚は最早「身内」同等てうことだ。身内が難局に在れば、手を差し伸べるのは当然のことだし、其処に惜しげは無いのだ。
 
ところで滞在中、2カ所で似たような現象を見かけたのでちょっと書いておく。
はじめは西門の紅樓(日本統治時代の演藝場)でのこと。赤煉瓦造りで八角形の特徴的な建物で、内部は西門地區の歴史や日本統治時代の歴史的変遷に関する展示や、ちょっとしたカフェ・賣店などが入ってゐるのだが、客は地區の特徴から若者が殆ど。そんな雰囲気を味はひつつ展示を見学してゐると、如何にも騒がしい集團が入って来た。一見して大陸からの觀光客とわかる10人ほどのグループなのだが、若いカップルが日本時代の琺瑯看板の前で記念撮影中(携帯のカメラ手持ち)にも拘はらず、半ば押しのけて写真撮影を開始。にこやかな顔が一瞬にして曇り、諦めたやうに出て行って仕舞った。一方愛想よかったカフェの小姐も忽ち険しい表情に為り、レジの前に出てきて横の記念品賣り場に入ってきた何人かを厳しく監視してゐる様子。案の定?見本が出してある一筆箋のやうな可愛ひメモ帳があるのに、積んである新しいもののビニル包装をベリッと剥がし始める。当然小姐は注意するのだが、何ら悪びれることなく、ましてや「對不起」=すみませんなどと言ふはずもなく、プイッと撮影組の方に行って仕舞った。仕方無く商品を元に戻す小姐の、諦めと怒りに満ちた表情が印象的であった。
所変はって蒋介石を記念して建てられた中正紀念堂でのこと。広大な敷地の中心は北京の天壇を連想させる巨大な堂宇で、中にはこれまた巨大な蒋介石の座像が鎮座してゐる。觀光客の多くは儀仗隊交代式を見学に来るのだが、顕彰施設とは言へ墳墓に類する意味をも備へ持つ本堂では、多くの外國人も静かにゆるりと行動するのが普通であるのだが、さて、件の大陸觀光客が十数人又は数十人單位で到着するとさあ大變。監視員の穏やかな顔は忽ち険しくなり、見学者用のパーティションの前面まで進み出て睨みつけるやうな感じに。厳粛な儀仗兵交代式さなか、日本人集團はほとんど静かに見守るやうに見学してゐるが、大陸組はさうであるはずがない。儀式中でも普通に大声で喋るし、前の人を押しのけて撮影に割り込んでくる。儀仗兵が動くとそのまま他のぢっと見てゐる見学者たちの中にカメラ構へたまま割り込んで行く。本人は夢中になってカメラのモニターを見てゐるので、案の定誰かの足を踏んで仕舞ったが知らん顔で移動撮影を続けてゐた。誠に恐るべし。
さすがに紅樓でも此処でも、カッペ痰を吐く者や手洟をする者は居なかったが、大陸中国人には色々困ってゐる様子が有り有りとわかった。臺北で宿泊してゐた大飯店は経済的値段てうこともあって大陸からの旅游客も多く受け入れてゐるやうだったが、服務臺の小姐は彼らのマナーの悪さと横柄な態度には辟易としてゐた。(部屋のドアを開けたまま夜遅くまで騒ぐ、トイレの水を流さない、トイレットペーパーを持って行く、バイキングサービスの朝食を全て食べて仕舞ふなど)また、桃園の出租車運転手は單純に「中国人は嫌いだ」「良くない」と言ってゐたし、宿の近くの珈琲屋のお兄ちゃんは「来ないで欲しい」とまで言ってゐた。其の理由を尋ねてみると、値段が表示してあるのに値切る、サービスで出してゐるガムシロップをごっそり持って行く、持ち帰りで袋に入れて手渡すと店の前で飲んで其の儘全てを歩道に捨てて行くなどなど。即ち公共性や道徳心の無さに皆さんウンザリしておられるワケだ。
未だに日本人觀光客は概ね金持ちであるとは思はれてゐる処は有るが、数十人の團體で行動しても大陸人たちに比べれば遙かに静かであり、買い物で矢鱈滅鱈負けろだの商品を勝手に開けたりだのすることは無いには事實だ。(筒井大先生の偉大な作品である『農協月に行く』時代の日本人たちも現在の大陸人達と同様であった可能性も高い)臺灣人にしてみれば、なまじっか言葉が通じるだけに鬱陶しいのかもしれんが、それ以前に精神的な紐帯が枯渇してゐるやうな気がしてならない。
ちなみに今回、韓國の日本に對するさまざまな言動に怒っておられる臺灣人にも二人會った。一人は77歳の老人で、まう一人は30歳くらいのサラリーマンだった。ひと言で言へば「韓國如きが何様のつもりで日本に文句を言ってゐるのだ」てう、ごく真っ當な反應。彼らは最早精神的には日本と一體化して仕舞って怒ってゐるのだった。
いずれにせよ、現代日本人はどのやうな立ち位置でも良いので、一度現代臺灣を身を以て實體験しておく必要があると思ふ。
一寸文章が冗長になって仕舞ったが、偉人の些細な感想として此処に投下しておくことにした。
 

 
◎おまけのおはなし
臺鐵(臺灣鐵道)瑞芳驛からの平渓線で、途中まで對面に座ってゐた韓國人の親子旅游客(中年夫婦+中学生くらいの男の子+小学校高学年くらいの女の子の4人)、お父さんの手には『地球の歩き方韓國語版がしっかり握られてゐたが、瑞芳驛での案内板には臺灣國語・日本語・英語の3種類しか無いことに納得行かない様子。全ては聴き取れなかったが、看板の地図を息子に指し示し乍ら「韓國人の旅行客も多いはずなのにねー、ハングルが無いねー」などと言ってゐた。何となく彼らの様子を眺めてゐると、40代と思しき父親は驛名の漢字は読めるやうだったが、奥様や子供らはまったく漢字ダメらしい。
確かに、臺北の免税店には僅かにハングル表記があったが、殆どは臺灣國語と日本語若しくは英語が中心であり、迪化街に新設された歴史資料展示館の解説などは臺灣國語と日本語のみであった。此の場に及んで、大韓民國國民は漢字を放棄した祖先の歴史的愚行を、今更のやうに悔ひるが宜しい。
 

臺灣原住民出身の野球選手らしい(日本ハム?)活躍中らしく連日出てくる
 

各局こぞって阿倍景氣の大特集
 

現代日本三大富豪の大分析
 

股票=株式投資大指南番組
 

 

深夜になるといろんな坊主がわんさか出てきて説教を始めるのだった
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おや、小池栄榮子が何故出とるの?と思ってよく見ると、原住民チャンネルの天気予報小姐であった。
 

矢鱈セクシーなお姉さんたちが4人で延々と麻雀をする番組
 

通販チャンネルのお姉さんたちも必要以上にセクシーな出で立ち