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原発再稼働反対デモ
余りの参加者の多さに、各社ともさすがに報道せざるを得なくなった様子。
原発再稼働反対 市民団体がデモ
千代田区永田町の首相官邸前で22日、政府が運転再開の方針を決めた関西電力大飯原子力発電所(福井県)の再稼働反対を訴える市民グループらが抗議活動を行った。「ツイッター」や「フェイスブック」などを使った呼びかけで集まった若者ら約1万1000人(警視庁調べ)が「原発はいらない」などと書かれた横断幕を掲げ、首相官邸前の道路約500メートルにずらりと並んだ。午後6時頃から約2時間にわたって、「再稼働反対」「民意に耳を傾けて」などと声を張り上げた。
(2012年6月23日 読売新聞)
↑それにしても読売新聞の此の冷ややかな報道態度には閉口です。
反対派1万1千人、首相官邸前でデモ
2012.6.23 18:50(産経ニュース)
首相官邸前で原発再稼働に抗議する人たち=22日午後
関西電力大飯原発(福井県)の再稼働に反対するデモが22日、東京都千代田区永田町の首相官邸前で行われ、参加者約1万1千人が再稼働の反対と脱原発を訴えた。午後7時ごろ、首相官邸前を先頭とする参加者の列は、約500メートルに。「原発を許すな」と書いたプラカードや横断幕を手に「再稼働反対」「大飯を止めろ」と声を上げた。
午後8時35分ごろには、近くにある東京メトロ丸ノ内線の国会議事堂前駅の男子トイレで、使用済みで焦げた発煙筒が見つかった。警視庁麹町署は威力業務妨害容疑などで捜査しており、デモとの関連も調べている。
デモ直前には再稼働反対派の男が警視庁の機動隊員に頭突きし、公務執行妨害の現行犯で逮捕された。
↑原発再稼働賛成派の産経ニュースはこんな感じ
↓かねてより「東京新聞」は積極的に報道中
首相官邸前 再稼働反対デモ
2012年6月23日 朝刊
関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働決定の撤回を求める大規模なデモが二十二日夜、首相官邸周辺(東京都千代田区)であり、官邸に向かって「再稼働反対」「大飯を止めろ」と力強いコールを繰り返した。複数の市民グループ有志でつくる「首都圏反原発連合」がツイッターなどで呼び掛けた。政府が3、4号機の再稼働方針を決めた四月から毎週末、官邸前で実施されているが、再稼働が正式に決まった今月十六日以降、これに抗議して参加する市民が増加。
この日は、官邸から霞が関方向へ約五百メートルにわたり、人の波が歩道から車道にあふれ、主催者発表で約四万五千人が加わった。
マイクを握ったルポライター鎌田慧さんは「原発がなくても日本社会は混乱しない」と強調。参加した東京都東村山市の大越明子さん(44)は「声を上げないと、賛成したのと同じになってしまう。再稼働を認めると、なし崩し的に他でも始まるのでは」と話した。
一人の力 未来は変わる 再稼働反対デモ
2012年6月23日 07時25分
民意からかけ離れた政治に、声を上げ続ける人がいる。関西電力大飯(おおい)原発(福井県おおい町)の再稼働に抗議し、二十二日夜も大勢の人が国会周辺に集まった。今いる「ここ」から、未来は変えられる。一票という力を持つ人たちの思いを国会前で聞いた。 (比護正史、鬼木洋一)■当事者意識で生きる アーティスト・鹿嶋 隆文さん(34)
今までは、上から与えられた情報で生きてきた。なぜ今のような事態になったかと考えると、子どもの未来が想像できなかったから。今ならまだ間に合うかもしれないと、ここに来ました。
東日本大震災の二日前、勤めていた東京都内のそば店を辞めました。隣近所の人の顔も知らなければ、周りの人とつながることもなかった。孤独感とストレスでいっぱいでした。
震災から約一カ月後、原発事故による放射能への恐怖もあり、海外に逃げました。一年間、タイやオーストラリアなどを回りました。オーストラリアのある町のコミュニティーセンターは、若い人々の交流の場になっていた。地域がつながっている感じがいいなと思いました。
もともと絵を描いていたので三月に帰国後、地元の神奈川県葉山町などでアートで町おこしをする複数の市民団体に加わりました。地域に根差して、当事者意識を持って生きようと考えたからです。
震災後はみんな心に寂しさを抱えていた。催しを企画すると、知らなかった人々が集まって自然とつながっていきます。こういうつながりをもっと広げたいです。
■情報集め判断する 主婦・梅沢千津子さん(60)
脱原発のデモや集会に参加するようになったのは今年四月から。事故が起きるまで興味も知識もなくて、今振り返ると、そういう自分がいやになります。自分で情報を集め、最終的に自分で判断できるようになるため、フェイスブックやツイッターを始めました。
当初は一人でデモに行くことに抵抗感があり、ツイッターで「心細い」とつぶやいたりしていました。知らない人たちからの「大丈夫。個人で来ている人が多いから」との反応が励みになりました。
バイオリンの趣味を生かし、八年前から福祉施設や病院などで演奏するボランティアを続けています。震災後はショックで数カ月楽器を触る気にもならなかった。やむなく人前で演奏する機会があったときに、聴いてくれた人から「元気をもらいました」と言われ、立ち直れた。
自分でできることをと考え、NPO法人の仲介で昨年十一月、岩手県大船渡市のスーパーで相棒の女性ピアニストと演奏しました。都内に移住した岩手県大槌町の被災者と知り合いになり今秋、ミニコンサートを開く計画を進めています。
■学生と思いを共有 大学講師・筒井 史緒さん(35)
大声を出すとか、主義主張を声高に話すのは苦手でした。でも、誰かがやってくれるだろうという人ばかりだったら何も動かない。一人でも変われば、何かが変わると信じて知人と一緒に来ました。
帝京大学で、宗教文化論や英語を教えています。以前は授業で自分の個人的な思いを語るのは、押しつけにつながると意識的に控えていました。震災後は、教師というより一人の人間として、授業の合間に「自分はこう思うけどみんなはどう?」と、学生に投げ掛けるようにしています。
震災と原発事故で、命には限りがあることを、あらためて思い知らされたのがきっかけです。自分も突然、命を失うかもしれない。日本だって今の状況なら、いつどうなるかも分からない。授業は学生たちと思いをシェア(共有)できる場なんだと、今は強く感じます。
私たちは、自分では作り出せない自然に生かされてきた。それなのに使えるものは使い尽くし、勝手に変えてしまっていいんだと傲慢(ごうまん)に考え、今のような状況を招いたのではないでしょうか。
(東京新聞)