山吹の 色染む空や 田代掻き 


 
 

 
 

 
 

 
 

 
 
 

 
このところ列島を東へ西へと右往左往してゐるのだが、だうでもよいことのわりに妙に気になったことを書いておく。
東の京都で見かけた広告:「◎▲寺納骨堂 大好評分譲中!(空調完備)」
いまどきの寺は古色然と苔むして日々勤行と念仏を唱へてゐただけではやっていけないらしく、お馴染みの水子供養だのぽっくり寺だのと称してしきりに集客集金活動に熱心であることは今更言ふまでもあるまい。恐らくコンサルが知恵を付けるのだらうが、代替はりして若手の住職になったことなどを契機に、近代的な墓地霊園を営む寺もある。それにしても、いくら人口過密なる東の京都とは言へ、このやうな一般の不動産紛ひの広告文はふざけとるね。しかも空調完備とは、一度訪問して見学しておく必要があるな。
次に西の京都ではなく難波あたりでふらりと入った中華料理店の菜単(メニュー)にでかでかと書かれたコピー:「絶品中華!当店で人気のベスト5!」
其の下には極めて月並みな、回鍋肉だの青椒肉絲だの天津飯*1だのといった料理名が並んでゐる。
そもそも絶品かだうかは、提供された料理を食した客が決めることであって、店側が堂々とメニューに使ふ表現ではない。このやうな表現が極めて不遜であることを、此の店の主人はわからなかったのであらうか。店内の壁に貼られた切り抜きなどから想像するに、TV番組か雑誌などで採り上げられて、何か感違ひして仕舞ったのだらう。まったく商売人の謙虚さが見られない謂ひにうんざりし、食欲も失せるほど。
偉人は勿論、料理注文前に店を出た。
※おまけ:「拝観料」とは?
最近「拝観料」と言ふ言葉に違和感を覚えてゐる。拝観とは神社・仏閣やその宝物などを謹んで観覧する(させていただく)ことであり、客側の自発的な意志や態度によって発されるべき言葉と思ふのだが、どの社寺にも堂々と「拝観料」などと書いた看板が掲げられてゐる。社寺側とすれば、普通に「入場料」か「入館料」「入堂料」「見学代」などと掲げればよいのではないだらうか。*2 *3
さういふ窓口に対し、訪問客は「拝観させていただきたい」と申し出ればよいだけのことだと思ふのだが如何。

*1:勿論本場中国に天津飯だの中華飯などと言ふ料理は存在しない。ついでに南京豆や南京袋や南京虫てう名のものどもも全て日本名であるが、天津甘栗だけは有ったと記憶する。

*2:勿論、拝観料てう言葉には来訪者に拝観していただくための代金と言ふ解釈も出来なくはないが、ちと苦しからうな。

*3:信仰心に基づく訪問者からは、額を定めずに喜捨を受ければ良い。