阿久比の歯科医へ電車でGo!


 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
年中行事 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺
 
 

 
平日の昼下がり、電車のなかの風景。
先づは大柄な女子高生。かなり大きな声で、携帯電話片手に乗り込んで来て、座席に座るやいなや大きめのコンパクトを取り出して手鏡しながら喋り続ける。車内アナウンスが入り、高架を渡るところで車内の雑音が大きくなったのだが、「ハァ?ぜんぜん聞こえんでもっと大きい声で喋ってよ〜」だの何だのと大声で会話を続ける。横に座ったおばさんは訝しげな顔つきで一瞥し、紙袋から取り出した旅行のパンフレットを広げて読み始める。我輩はほぼ正面の席に座ってゐたので女子高生を睨みつけてみたが、電話し乍ら逆に睨まれて仕舞ふ状況。
やがて少し遠くの座席に鎮座してゐた初老の男。懐から携帯電話を取りだして喋り始める。
「だもんで、1本乗り遅れただけのことだがや。10分もすりゃー着くで、五月蠅いこと言はんで待っとれ。」
かなり大声での短めの会話だったが、悪びれる様子は微塵も無い。マナーモードもこれでは意味が無い。
そのおっさん方面を眺めた時に気付いたのだが、就活風の服装をした5人ほどの学生(と思ふ)が、膝の上に弁当を広げてむしゃむしゃ喰っとるではないか。道理で何か食ひ物の匂いがするなあと思ってゐたが、原因は彼らだったのだ。
乗ってゐるのは急行列車だから、次の驛まで10分近くあるが、彼らは揃ひも揃って何故電車内で弁当を食ってゐるのか? だうしても移動中に腹を満たしておかねばならんと言ふならば、せめておにぎりにするとか、ゼリー状やブロック状の栄養補助食品で済ませておくとか、さういふ知恵や配慮は無いのだらうか。
女子高生はまんだ喋っとるし、我輩の隣の女性は手提げ袋から引っ張り出した「毛穴パック」の小箱をびりびりと裂いて中身を取り出して見てゐるし、更にシャンプーのボトルなんかも膝の上に出してしまって眺め始めたし、帰宅するまでさういふことは我慢できないのかしらむ。
兎に角含羞だの遠慮だの、嘗ては日本人の美徳の一端であったはずのなにものかは、確実に既に滅びて仕舞ったのだらうね。是が何気ない日常の一コマであるとすれば、症状は可成り絶望的であるとも言へやう。
さて次に、帰宅して見たTVニュースで、高校野球の選手宣誓を聞いてゐて激しい違和感を覚ゆ。
なにか根本的な部分で感違ひしてゐるのではないかなと思ふ。なんであなたがたが大震災の被災者たちに向けた励まし役みたいなものを担はされてゐるの?
被災地の高校であることは考慮するとしても、選抜の選手たちのプレーと被災者は無関係なはず。被災者の皆さんが彼らのプレーを見て勇気づけられたとしたら、それはそれで良いことだし、誰が云々と申すべきことでもない。
選手たちは自分たちの夢をひたすら追求して勝つために闘えばよいのであって、我々の姿を見て元気を出してくださいだのと口に出して言ふことは、実に烏滸がましく不遜なことだと思つた。
もしこれらの台詞を大人たちが言はせてゐるとしたら大問題だが、高校生たち自らが考へて書き下ろした宣誓だとしたら、それはそれで誠に由々しきことだ。
兎に角、感違ひした高校野球の奇妙な正義感や、美談と人情に満ちた浪花節的マスコミの取り扱ひが、たまらなく不快で嫌ひだ。
 
※以下参考

宣誓。
 私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。

「がんばろう!日本」。

生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
平成23年3月23日
創志学園高等学校野球部 野山慎介主将

東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。

被災された方々の中で苦しくて心の整理のつかず、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみに暮れている方々がたくさんいます。

人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。しかし日本がひとつになり、この苦難を乗り越えることができれば、その先に大きな幸せが待っていると信じています。

だからこそ、日本中に届けます。
感動、勇気、そして笑顔。
見せましょう、日本の底力、絆を。

われわれ高校球児にできること。
それは全力で戦い抜き、最後まであきらめないことです。
今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。

平成24年3月21日
石巻工業高等学校野球部 阿部翔人主将

「感動、勇気、そして笑顔。見せましょう、日本の底力、絆を。」だって?
実に変じゃないか? 感動や勇気は見る者が感じることであり、高校生が選手宣誓で述べることは、完全に立場を取り違へてゐる。加へて、日本の底力、絆を見せませうだって?! 誰が誰に向かって言ふべきメッセージであるかてうことを、まったくわかってゐない台詞だ。
高校野球などまったく興味無いので今まで知らなかったが、いつからこのやうな不遜なメッセージが盛り込まれるやうになって仕舞ったのだらう?
そして、かういふ感違ひな宣誓?に違和感を抱くこと無く感動してゐる人々とは、いったいどんなひとびとなの?