能不能?

陰暦十二月九日

 
 

 
 

 
今や新暦の正月が主流の我が邦ではあるが、天空の闇に月の姿の有る何処となく居心地の悪い元日ではあるが、正月には正月にしか無い清浄な空気が醸成され広く世間に横溢するから不思議だ。
見渡せば臨海部の製鉄工場の煙突からはしきりに水蒸気が上がり溶鉱炉は稼働中である様子。しかし、バイパスのあちこちには初売りと称して喧しい大型店舗もいくつか見ゆと雖も、普段往来する国道県道には自動車の姿少なく、新装成った空虚で無機質な驛周辺には時折ちらほらと和服姿の歩行者や、どこぞの神社の破魔矢を手にした人々が行き交ひ、それなりの華やいだ風情は有る。
偉人としては、世間並みに屠蘇散味醂に投じてみたり、木枯らしに肩を竦め乍ら、自転車を駆って其処此処の神社の正月飾りを覗き歩いてみたり、普段にも増して密かな楽しみも確かに多いことは認めざるを得ない。
テレビではどのチャンネルも芸の無い芸能人や騒がしいだけのお笑ひ芸人の群れが露出してウンザリだが、普段なかなか見ることの出来ない邦楽や歌舞伎、能・狂言などの地味此の上無き番組もなかなか多く、其の効能もなかなかのものである。矢張り遺伝子の何処かに直接響く音の欠片が満ち溢れ、何より凜とした清冽なる真冬の冷気に響き渡ることそのものが此の上無く心地良い。
先程迄は「厳島観月能」てう番組で珍らかなる曲「融」(喜多流)などを終始、しみじみと眺めて贅沢な時間を過ごしてゐた。
言ふまでもなく厳島神社能舞台海上浮遊の造作が最大の特徴であるが、夜間での演出上、水面に漣の照明反映が多少煩はしいものの、考へ得る最高に贅沢な舞台であることは間違ひ無い。
曲水の宴の水流が海面の揺らぎに置換されただけで、幽玄の深度は更に増す。願はくば実際に現地で観劇したいものであるなあと、しみじみと思ふ静寂の狭間哉。