偉人は矢張りブラームスがお好きなの


 
 

 
 

 
何故ブラームス交響曲を、スコアまで買って繙き乍ら、時に激しく指揮の真似事をし乍らも執拗に繰り返し聴き込むのか、自分でも理由は不明白のままである。
さておき、此処暫くは、サヴァリッシュ指揮・倫敦フィルハーモニックの音源(1989~91)で交響曲第三番をヘヴィロテしてゐる。
此の第三番の骨頂は第一楽章の冒頭にある。管楽器による全音2小節のトゥッテイのあと、第3小節目の第1拍の音圧と音の広がりが全てであると言っても過言ではない。
勿論、此処にはティムパニーも加はってゐるから誰の指揮のどのオーケストラでも最低限のヴォリュームは担保されてゐるわけだが、此の第三小節の「厚み」が全ての印象を決定づけるのだ。
とまれ冒頭の2小節も、指揮者によっては単に2音のフェルマータと聞こえて仕舞ふ場合もあらうが、第3小節以降にヴィオラとチェロの行ふシンコペーションのリズムを持った伴奏音が如何に巧みに下降する主旋律を乗せることが出来るかてうことこそ、オーケストラの実力を知る重要な手懸かりになってゐるのだ。
試しにギュンター・ヴァント&北ドイツ放送交響楽団の演奏と比べてみると、些か前のめりな棒裁きなので単純な比較は出来ないものの、サヴァリッシュの方が遙かにスコアに忠実で律儀であり、「楷書のやう」と形容される所以を発揮してゐる。
両者の唯一の共通点は冒頭の第2小節の全音をクレッシェンド扱ひにしてゐるところくらいかな。スコアの何処にもクレッシェンド記号は書かれておらず、3小節ともまがまがしくfが指示されてゐるのだが、上昇し跳躍する音形が自然にクレッシェンドを呼ぶのであらう。
もっとも、此のクレッシェンドひとつ採ってみても、ギュンター・ヴァントの其れはサヴァリッシュに比べて遙かに攻撃的且つ野心的であり、其ノ後のテンポの緩急もより自在である。
我々中年にとってみれば、サヴァリッシュと言へばN響と即答する人も多いだらう。調べてみるとN響との関係は1964年の初来日以降てうことだから無理もない。1923年、ドイツ、バイエルン州ミュンヘン生まれ。
一方ギュンター・ヴァントは1912年、ドイツ・ラインラント地方のエルバーフェルト生まれ。初来日は1968年で、読売日本交響楽団を指揮したと記録にある。実に地味な指揮者だが、實はファンの間では奇跡の再来日と呼ばれてゐる2000年11月の来日公演を、遠路東京オペラシティーまで聴きに出かけた個人的な思ひ入れもあって、わざわざ比較言及に引用した次第。
正に、老体に鞭打つとは此の事かと思ふほどのはらはらどきどきの指揮だったが、今から思へばプログラムの2曲、シューベルト交響曲第7番とブルックナー交響曲第9番はいずれも所謂「未完成」であり、何やら示唆的な、暗示的な気分に満ちてゐたことだけは事實だ。
方やサヴァリッシュは極めて明朗快活なる雰囲気と音色を造り出す天才で、ピアニスト出身であることや、歌劇場での活躍経験も影響してゐるのだらう。度重なる来日にも関わらず、彼の指揮する演奏を生で聴くことは出来なかったが、3枚組の中にはハイドン変奏曲や悲劇的序曲、大学祝典序曲、そして珍しい「運命の歌」も入っており、ブラームスを愛する者としてはとても幸せな気分になれる全集だ。
ふむ、改めて読み返してみると、第三交響曲第一楽章の冒頭3小節分のことしか書いてないぞ。第4小節以降のことはまた別の日にでも・・・ (-_-)