太陽系第三惑星に於ける人類の足跡と展圧式人生について


 
 

 
 

 
人間の営みの痕跡である遺跡の発掘現場。
「完掘」と呼ばれる最終状況を写真に残すことが、習慣的に行はれてゐる。
勿論、其の写真には「このやうにきちんと発掘調査をしましたよ」てう意味や、当局への報告用に使ふなどの目的があるのだらう。
写真撮影に於いては、何故か徹底的に足あとなどは消されていく。現代人である作業員や調査員の足あとなどが、過去の地面に付いてゐてはいけないてうことなのだらう。
其の理屈はわからんでもないが、人間の足あとひとつ無く無機質に仕上げられた地表面の連続に、いったいどれくらいの真実や価値があるのだらうか。
それに、今自分が住んでゐる周囲の環境を一瞥してみればわかることだが、岩盤などが剥き出しになった土地以外では、多かれ少なかれ必ず植物相を伴ふ土壌が存在するはずだ。多くの場合、人間の営みも植物同様、此の土壌表面で行はれてゐた。
しかし、発掘現場の最終段階では、俗に地山と呼ばれる基盤層をほぼ全面に露呈させ、発掘に関わった人々の足あとをも消し去り、「完掘」状況を演出する。果たして此の写真にどのやうな意味が有るのか。
もっとも、足あとを消すのは何も最終段階に限ったことではないが、自分たちが掘っておきながら、執拗に其の痕跡を消し去らうとするのは、ともすればかなり滑稽なことだ。
此の、無意味で滑稽で、形骸化された行為そのものが、現代人の性なのかもしれないが・・・