俗世の習慣律


 
 

 
奇妙な習慣、と言ふか奇妙な風潮と言ふか何と言ふか。
デジタルカメラやデジタルビデオの普及が此のやうな奇妙な現象を普及させて仕舞ったのだ。
実物が至近に存在するほど、モニターに夢中で見入り、実物を見ていない状況。
携帯電話での撮影もさうだが、片手を前に突き出して画面に見入ってはゐるが、目の前に展開している実物や状況はよく見てゐないてう皮肉。
デジタルカメラの場合は更に奇妙で、両手で抱へたカメラを眼前に持ち上げ、両目が寄って仕舞ふほどの勢ひでモニターは見てゐるものの、やはり実物をじっくり眺める時間の方が短くなってゐるやうな気がする。
その割りに、撮影したことに勝手に安心して仕舞ひ、家に帰ってじっくり画像を眺めるでもなく、データを整理するでもなく、そのまま電脳硬盤の奥深くか記憶端子の片隅で眠り続ける画像も多いことだらう。
これは或る部分、書籍にも同じやうなことが言へる。皮肉なことだが、難しい専門書などに顕著なのだが、熟慮の末にせよ衝動買ひにせよ、本屋から持ち帰って仕舞ふとそれだけで読んだ気になって仕舞ひ、実際に目を通さずに書棚に並べられて行く本も結構ある。
これはまた或る部分、豆腐にも同じやうなことが言へるのではないだらうか。或る時期我輩は、豆腐を主食として生きてゐた時期があることを此処に告白せねばならないのだが、さすがにいくら体に良いと雖も、毎日毎日今天も明天も后天も食べ続けてゐると飽きが来る。物事に飽きることは人間の想像力と行動の源泉にも為りうるてうことはさておき、自分で晩餉に玄米と萬年漬けと決めたにも拘わらず、習慣的に豆腐を買って仕舞ふ。買ってきただけで食はずに冷蔵庫入りしてまま放置される豆腐も多くなるのだが、脳裏では「豆腐即ち体に良い」てう公式がn値を介さずに埋め込まれてゐるので、恰も買ってきただけで体に良い効果が発生したが如き状態になる。
これらの話を手短に纏めてみると、カメラによる撮影行為は購入した書籍のやうでもあり、冷蔵庫に眠る豆腐のやうでもあるてうことになる? 
で、あるか??
とまれ、これらの現象はプラシボ効果や宇宙のインフレーション理論とはあまり関係無いやうでもあるが、脳内暗黒物質の為せる技か、はたまた単なる怠惰によるものか、ここらで白黒はっきりさせておく必要があるやうだ。
いや、別にピアノの鍵盤ではないので白黒でなくても、赤黒の分別でもよいわけだ。
ふむ。。。
 

 
 
 
 

バッハ:平均律クラヴィーア曲集 全曲

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バッハ平均律の研究 (1) (ムジカノーヴァ叢書 (2))

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バッハ : 平均律クラヴィーア曲集 第2巻

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