火山性黄昏?

此の頃の夕焼けの美しさと言へば、誠に尋常ではない。
毎夕余りに清冽且つ幻想的な情景が目前に展開するので、ひょっとしたらこのやうに見えてゐるのは自分だけではないかしらむと怪しみ、ともすれば余りに偉大な偉人の魂が、遂に此岸と彼岸を自在に往来し始めた結果の幻視ではないかしらむと思ったほどである。
また、或る人の表現を借りれば此の風景はまさに、美し過ぎて「世の亡ぶ 兆のやうだった」。
勿論、形容する言葉もなかなか見当たらないと言ふべきでもあるが・・・
 

 
黝(あおぐろ)い石に 夏の日が照りつけ 庭の地面が 朱色に睡つてゐた

地平の果てに蒸気が立つて 世の亡ぶ 兆のやうだった

麦田には風が低く打ち おぼろで 灰色だった

翔びゆく雲の落とす影のやうに 田の面を過ぎる 昔の巨人の姿

夏の日の午過ぎ時刻 誰彼の午睡するとき 私は野原を走って行つた・・・

私は希望を唇に噛みつぶして 私はギロギロする目で諦めてゐた・・・

ああ 生きてゐた 私は生きてゐた
 
 
                 中原中也 「少年時」
 

 
今ひとつ思ひあたる原因は物理的なもので、最近活発化してゐる桜島の噴火で上空に巻き上げられた火山灰や火山性物質の影響ではないかとも考へてゐる。
かう思ふにも根拠が有って、1991年フィリピンのルソン島にあるピナトゥボ火山が500年ぶりに大噴火した際、其の数週間後から数ヶ月に亘り、恐ろしくおどろおどろしい色彩に満ちた夕焼け空が続いたことを覚えてゐるからである。
 

 
火山学会で報告された火山灰の降下範囲は上図のやうなものだが、言ふまでもなくこれは目視可能だった降下範囲である。高さ7000mにまでも達した噴煙には当然、目に見えない微粒子やエアロゾルも大量に含まれてゐたわけで、大気の循環の結果、それらは蛇行北上し偏西風帯域にも及んだことであらう。
それらが、具体的にどのやうに作用すれば、斯くの如き濃厚なる黄昏や夕焼けが出現するのかは知らん。しかし、大気圏の海辺の片隅に棲息する者の直感の欠片が、何らかの関係性を我が感性に訴えかけてゐることもまた、事実である。
 
 

中央構造線に沿って渦巻く巨大なうねりは、恰も地震の前兆を暗示するやうでもある。
 
 

そして大地はやがて深紅の下の暗闇に沈み眠りを貪りはじめ・・・
 
 
 

ペンデレツキ:クレド

ペンデレツキ:クレド