アガパンサスの咲く頃


 
 

 
 

 
今天是「星の王子様の日」とぞ。
其の由来は、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリの誕生日から。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ - Wikipedia
さう言へば、最近あらためて「 Le Petit Prince 」を読んでゐた友人がゐるのだが、早速此の作品の最も重要な一節「砂漠が美しく見えるのは、そのどこかに井戸を隠してゐるから」を指摘してゐた。なかなかの感性の持ち主だ。
勿論有名な作品冒頭
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」
の表現も印象熾烈だ。此の一文に接する度に、ヴィム・ヴェンダース監督の名作「ベルリン・天使の詩」の冒頭シーンを連想して仕舞ふ。
 

 

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« l'essentiel est invisible pour les yeux »
「大切なものは、目に見えない」(直訳すると「本質は眼では見えない」となる)
今は昔、畏れ多くも我輩に「目に見えないものなどは此の世には存在しないものだから存在を信じることが出来ない」と言ひ放った女史が居たなあなどと懐古感興する自分もまた不思議な存在だと思ふが、所謂「神秘の井戸」の存在はカンボジアのアンコールトムにおけるバイヨン寺院を訪問した際にも直感されたことだ。
実際に「魂の井戸」が存在し其の構造まで調査されてゐたことは考古学的報告書を入手してから知ったことだが、ファサードからは決して見えない真実や魂が、此の世には多く存在することの好例だ。
 
「大切なものは、目に見えない」
 
海の表皮を剥がして、海中を覗いてみたい。
 

Eat me!
美味しさは目に見える?
どうやら香蕉の食べ頃だけは此のやうに外見で判断出来さうだ。