チベットと縄文土偶と高速移動の関係


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
■大土偶展の感想など
日本各地の縄文遺跡から出土した土偶が集められ、上野で展覧されてゐた。
たった1室の展覧会だが、極西の大ブリテン島からの里帰り凱旋企画てうこともあって、なかなか懇ろに肝煎りの広告宣伝の効果もあって、大盛況。
入室するやいなや、大勢の老若男女がいくつもの展示ケースに集合離散を繰り返す様子に圧倒され、先づは手当たり次第に土偶達のかむばせを覗き込んで歩いた。
未だ多少なりとも考古学的人格が残存した我輩の自己にとって、考古学的視点でこれら出土文物としての土偶を眺めることが出来たのは最初の30分ほどのこと。
一巡どころか、会場を三巡九拝するうちに、果たしてこれが、縄文人達が土偶に託した願ひや祈りを最低限なりとも尊重した上での展覧であるのかだうか、甚だ疑問に感じるやうになってきたのだ。
国宝土偶3点が一堂に会するのは、これが最初で最後だの何だの、余計な解説も含め、神秘的な照明効果や衛生的且つ無機質な硝子ケースに幽閉された土偶達は、どことなくもの寂しげで憐憫の情を禁じ得ない様子だった。
嘗てムラで祀られ、破壊されることでその役割を終えたはずの土偶達が、地中より掘り出され、破片同士が接合され、原形に最も近い形に復元され、そして展示・・・
果たして、考古学の本懐は、出土文物を物理的に復元し分類し、研究すること? そして硝子ケースに閉じ込めて、衆目監視下に展示すること?
これら土偶は、その形状の違ひや大きさの大小には関係なく、縄文人達のさまざまな祈りが込められてゐたはずだ。
それらの祈りの数々は、いったい誰によって咀嚼されるべきなのだらう。大地から切り離され、無機質で狭小な空間に幽閉された土偶達の瞳は、なぜか虚ろなままだった。