神無月新月の水面に浮かぶ混沌の陰陽太極的蠕動と天地分離の開始

  

 

 
               天地開闢神話
 

 漢語の史籍に神話という用語はない。十九世紀末、日本人学者が英語の「a myth」を神話と翻訳したもので、古代中国では神の神秘の教えを説いた経典を神書、老荘の説いた道(宇宙の原理)を示した教えを「神道」と称したが、「神話」という表現はない。

 漢語では神は「神、精神、神経、顔色、注意力、非凡、利口」を意味し、神話には荒唐無稽な話、神道には奇怪な言動という側面がある。従って、表題は神話ではなく、「伝承」としたほうが適切かもしれないが、現在では日本語の「神話」が中国にも導入されて、一般的に使用されているので表題とした。

 

盤古神話』(中国)

 盤古神話は倭国古朝鮮の「天地開闢神話」の原典だが、「三五暦記」「五運歴年記」「述異記」などに記述があったようだが、早くから散逸しており、現在では「芸文類聚」「太平御覧」などの逸文から断片的に物語を観るしかない。
 

「三五暦記」

 天地渾沌如雞子、盤古生其中。萬八千歲、天地開辟、陽清為天、陰濁為地、盤古在其中、一日九變。神於天、聖於地。天日高一丈、地日厚一丈、盤古日長一丈。如此萬八千歲、天數極高、地數極深、盤古極長。后乃有三皇。數起于一、立于三、成于五、盛于七、處于九、故天去地九萬里。
 
 天地は鶏子(卵殻の中身)のように渾沌としていた、そのなかで盤古は誕生した。一万八千年を経て、天地が開けると、陽(あきら)かで清らかな部分は天となり、暗く濁れた部分は地となり、盤古はその中間に在って、一日に九回変化した。天では神、地では聖となる。天は日に一丈高くなり、地は日に一丈厚くなり、盤古は日に一丈背が伸びた。このようにして一万八千年を経て、天は限りなく高く、地は限りなく深くなり、盤古は伸長を極めた。
 
 後に及んで三皇が出る。一にして数え始め、三にして立ち、五にして成り、七にして盛んとなり、九にして場所が定まる。それ故に、天と地は九万里(4万5千km)離れた。

 

「五運歴年記」

 首生盤古、垂死化身:氣成風雲、聲為雷霆、左眼為日、右眼為月、四肢五體為四極五岳、血液為江河、筋脈為地里、肌肉為田土、髮髭為星辰、皮毛化為草木、齒骨為金石、精髓為珠玉、汗流為雨澤。身之諸蟲、因風所感、化為黎氓(民)。
 
 初めに盤古が生まれ、死が近づくと、吐いた息は風雲、声は雷鳴、左目は太陽、右目は月、手足と胴体は四方の極地や五岳、血は河川、筋と血管は道、皮膚は農地、髮髭は星辰、産毛は草木、歯と骨は金属、精髓は珠玉、汗と涙は雨や露に化身した。身中の寄生虫は風によって各地に広まり、多くの民と化した。

 

「述異記」

 (前省略)支撐著天和地、使它們不再回復為過去的混沌状態。盤古開天闢地後、天地間只有他一個人。天地隨著他的情緒而變化。他高興時、萬里無雲;他發怒時、天氣陰沈;他哭泣時、天就下雨、落到地上匯成江河湖海;他嘆氣時、大地上刮起狂風;他瞬瞬眼睛、天空出現閃電;他發出鼾聲、空中響起隆隆的雷鳴聲。
 
 (九万里離れた)天と地を盤古は支え続け、再び過去の渾沌(天地未分化の状態)に戻らないようにした。盤古が天地を開いて後、天と地の間に彼一人しかいなかった。天地は彼の情緒に応じて変化した。盤古歓喜すれば万里に雲なく、怒りを発すれば天は薄暗くなり、泣けば天から雨が降り、地上で河川、湖沼、海洋となり、嘆けば大地は暴風が巻き起こり、目をまばたけば天空に雷光が現れ、鼾をかけば空中に雷鳴が轟いた。
  

 盤古神話に言う「天地渾沌」とは陰陽未分化の宇宙をいい、「陰陽説」そのものである。

 一般には「陰陽五行説」と呼ばれるが、「五行説」は「陰陽説」から派生した理論であり、この盤古神話には、五行説の影響がみられない。

 祭祀権と統治権が不可分だった古代の統治者には、易の基本原理である陰陽五行説は習得すべき必須の神秘科学であり、陰陽説は西周時代に、五行説春秋時代に広まったと考えられる。従って、盤古神話の誕生は五行説が発展する春秋時代以前に誕生したと思われる。

 

 盤古氏頭為東岳、腹為中岳、左臂為南岳、右臂為北岳、足為西岳。
 
 盤古氏の頭は東岳、腹は中岳、左臂は南岳、右臂は北岳、足は西岳となった。
 
 これは秦漢時代の俗説だが、五岳信仰に結び付けて語られており、すでに盤古神話が方士の間で流伝していたことが窺われる。

 

道教神話」

 天地陰陽の気を受けて生まれた盤古真人は、自ら元始天王と称して、混沌のなかに浮遊していた。やがて天地が分かれ、地の岩から水が流れ出た。原虫が発生し、やがて龍が生まれた。その後、流水のなかから人間の姿をした太元玉女が生まれた。彼女は太元聖母と名乗り、元始天王と気を通じて天皇を生んだ。次には扶桑大帝と東王公、さらに西王母を生んだ。そして、天皇地皇を生み、地皇人皇を生んだ。(骨子のみ掲載)
 

 この道教神話は古代伝承の盤古ではなく、葛洪(抱朴子)が「枕中書」に盤古帝王を道教の神として記述したことから、やがて「盤古帝王賜福真経」へと発展したもので、経文には延々と盤古帝王の記述があるが、長文なので骨子のみ掲載した。
 
 戦国時代、荘子は道を得た(悟に達した)人物を「真人(聖人・真君)」と呼んだ。
 
 また、神仙思想では仙人に「真人」の尊号を用いたが、この老荘老子荘子)の道家思想と神仙信仰が混合して広く民衆の間に信奉されていた。
 
 五個十六国時代、道教諸派の上清派が道を神格化した「元始天尊」を太上老君(伝説上の老子)の上位に置いて道教最高神とした。従って、これは元始天王の信仰を元始天尊の形象に併呑した四世紀以降の創作である。
 
 

盤古と盤瓠」

 盤古(ばんこ)と盤瓠(ばんこ)は、ともに西南少数民族の神話の主人公だが、この神話が長江流域の漢族に広がり、やがて漢族の開闢神話として全土に浸透したものと考えられている。ただし、そうではないとする異説もある。
 

 
http://www.mysky.idv.hm/read/hwk/hwk02.htm
 
 漢族的盤古神話與西南少數民族的盤瓠神話有類似之處、他們都是造物主、是人類的始祖。但盤古開天的神話、惟漢族記載最為全面。是西南少數民族接受了漢族的盤古神話、還是漢族接受了西南少數民族的盤瓠神話呢?我認為都不是、這兩個神話的源頭是同一個、描述的是同一個我們將要提到的事件。後來、聚集在一起的人、開始遷徙、文化發生了歧變、神話也發生了變異。於是、苗族地區有了盤瓠的神話、而漢民族則保留了盤古的神話。
 
 漢族の盤古神話は西南少数民族の盤瓠神話に類似する。盤古も盤瓠も造物主であり、人類の始祖とされる。西南少数民族が漢族の盤古神話を接取した、あるいは漢族が西南少数民族の盤瓠神話を接取したのか? 私はいずれも違うと認識している。二つの神話の源流は同一で、描写も同一の事柄だが、それが人の移動や文化の岐路で変化して、苗族地区には盤瓠の神話、漢民族には盤古の神話が保留されたのである。

 

 有人說、盤瓠神話載於東漢的《風俗通義》、而盤古神話載於三國的《五運歷年記》、因此、盤瓠神話比盤古神話古老、所以、盤古肯定是從盤瓢那裡演變過來的、這個說法也不對。大家知道、中國沒有系統記錄神話的文獻、現在的神話零零散散、見於各類書中、根本無法區分年代、怎麼能用先被記錄或後被記錄來判定哪一個神話更早呢?這是一個常識問題。
 
 ある人が言う「盤瓠神話は東漢前漢時代)の『風俗通義』に記載、盤古神話は三国時代の『五運歷年記』に記載されていから、盤瓠神話は盤古神話より古代の創作で、盤古は盤瓢の話が変化したものである」 これは間違っている。皆が知っているが、中国には系統的な記録文献はなく、現在の神話も各種文献に分散しており、根本的に年代区分の方法はなく、どうして先に記録されたものか、後に記録されたものかを判定できるのか。(要訳のみ)
 
 

 これは、ある米国の歴史学者が「世界的文化発祥国のなかで、唯一中国だけが自国の開闢神話を持たない」との論文を発表したのに対し、「本来、盤古は漢族の神話であり、盤瓢は少数民族の神話である」との反論の一節である。古代の漢族の人々が盤古少数民族の神話だと混同したのだとの説は説得力に欠ける気がする。
 
 盤古神話は卵から盤古が誕生する典型的な「卵生型神話」であり、卵生型神話は南方系の民族神話の特徴とされる。中国大陸で卵生型神話を有する民族は、古代の長江流域の氏族や西南地方の民族である。では、どの民族の神話なのだろう。
 
<以下略>
 
 

 
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/index.htm
 
http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter16/chapter160104.htm
 
盤古国与盤古神話