凹凸式時代精神


 
 
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嗚呼、伯林!
 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
※偉人の伯林滞在は1988年7月〜8月の1ヶ月強であった。ライヒスターク前の広場やヴァルドビューネでは、ピンク・フロイドマイケル・ジャクソン、スティングのコンサートが次々に開催されてゐた。1日ビザを買ってフリードリッヒ・シュトラーセやチェックポイント・チャーリーから東伯林に潜入し、Unter den Linden 散策、博物館島や産業遺産を巡ること数度。西伯林に於ける毎日の日課は、アプリコーゼンの缶詰を買ってきて、クエン酸を加へてコンポートを作ること。クロイツベルグトルコ人マーケットに出掛けてトルコパンを買ってくること。そして、飽くことなく壁を巡ることであった。"Zeitgeist"こと時代精神を半ば神格化した映像作品『ベルリン天使の詩』を観たのも、映画の中に出てくる映画館でのこと。ポツダム広場を横断してゐた壁の曲がり角で7月14日に出国1周年記念パフォーマンスである「頭痛・腹痛宣言」を行ったのは1988年7月14日のこと。壁の崩壊を知ったのは、翌年の今頃、日本への帰国途上、中国は新彊ウィグル自治区カシュガルでのこと。ドミトリー同室のオーストラリア人が持ち歩いてゐた短波ラヂヲからの情報であった。当時は「そんなことは信じられない」「我輩は去年の夏に伯林に滞在してゐたから、壁が壊されることなど不可能であることは知ってゐるのだ」などと稚拙な主張をし、オーストラリア人がニュースを聞き間違へたのだらうなどと息巻いてゐたものだ。あれから早くも、20年の歳月が過ぎ去ったのだ。