隣の印度人

工作員招待所の隣人は身毒国的印度人だ。
いや、本人に確認したワケではないので、「印度人であると思はれる」と言ふべきだらう。
だけど、それがだうした。
 
だうもしない。
 
いちどだけ小柄な女性が洗濯物を取り込んでゐる姿を見かけたことがあるので、印度人は夫婦で住んでゐるのかもしれない。
彼らが如何なる経緯で此の工作員招待所に住居を定めたのかは知る由もないが、其の生活様式はなかなか多彩だ。
最大の特徴は、毎天大量に干されてゐる洗濯物だ。雨が降っても曇ってゐても、狭いベランダの物干し竿いっぱいに大量の衣服や布が干される様子は異様且つ壮観で、其の色彩の豊かさは日本人の比ではなく、まさに満艦飾。
それに、部屋を歩く足音がかなり大きい。此の招待所、2Fは全てカーペット敷きだが、1Fはフローリングの板張りになっており歩き方によってはかなり響き、初めは其のまま靴で歩いてゐるのではないかと怪しんだほどだ。
旦那さん?は2度ほど、朝出掛けるときに出会ったが、ヒゲを蓄へ頭にターバンを巻いた風貌は、我が御幼少の砌TVで見たタイガー・ジェット・シンそのものだったが、昨天は調度出て行くタイミングが同期したので「お早う御座ゐます」と声をかけると、「おっはよございま〜す」と妙に甲高い声で挨拶が返ってきた。
彼は何処に行くのだらう?
招待所の内部施設は最新で、壁もさほど薄いわけでもないが、印度人の喋り声はぼそぼそぼそーとろすと低くよく響き、一旦気にし始めると気になって仕方なくなって仕舞ふ。
更に、朝な夕な、歌ともマントラとも声明とも呪詛とも知れぬものが延々と聞こえてきて、気にならないと言へば嘘になる。
一般に工作員同士の接触は固く禁じられてゐるので、此の先もお互ひの来歴を知ることは無いだらうが、異国に身を置く者が精神的な拠り所として宗教的な行為い身を委ねることは自然の成り行きであり、彼らの行為を迷惑と感じるかだうかは矢張り、何者かに因って我輩が試されてゐるに他ならない。
 
まあ、隣の部屋に印度人が住んでゐてもよゐではないか。
 
ちなみに、巴里の屋根裏部屋、我輩の隣はオランダ人とアルジェリア人のゲイのカップルだったし、反対側の隣には韓国人の女学生が住んでゐたし・・・
さう、隣の部屋に印度人が住んでゐても、よいではないか。
 

   
 
今天旧暦七月十六日、月齢15.11、望月は今夜と明天に分かつ也。
月が満ちて、孤独な鳥は群れを離れて飛ぶ。
行く先は青白い月の表面。
やがて虹色の転機は、何かを引き連れて向かふからやってくる。