五劫への回帰 はじまる

靡け!

天気晴朗ナレド春未だ浅き頃の如く荒れ狂ふわたつみの大海原も、昨天よりは幾分波頭白浪の数も少なくなりたるけると雖も、高速船は身を浮かせ弾け飛ぶやうに往来し、乗客を放心させ疲弊せしむ。
  
英国島よりkozyが帰国を果たし、時の節目にさまざまな邂逅と自己再発見の彷徨を続け、青春時代より因縁浅からぬ燐電太子の陋屋を詣で其の御尊顔を拝し、更なる飛躍の礎にせむとの志、極めて高く尊し。
  
某氏の曰く、
「たとへば、なぜ自分が生きてゐるのかわからないといつた不安に陥るとき、あるいは人生そのものが無意味に感じられるやうなときには、みづみづしい山並み、海や空や星々でさへ輝きを失つてしまふ。人間にとつて周りの事物は、そのやうな精神的なものとして存在してゐるのである。」と。
  
此の世界を現実に存在するもの(実体)として五感に感応せしめてゐるのは自分の観念能力であり、無意識を内包した意思なのだらう。
そんな意思が、一個人に収斂された極めて基本単位的な位相で完結したものであるのか、それとも壮大な宇宙的な包括性存在に由来するものなのかはよくわからない。しかし、内なる声に忠実に行動を起こすべき時の訪れを感知出来た自分を、他己として客観性を以て意識下に包摂することが出来たとすれば、其の「他己たる自己」は最も忠実な自己の僕として真摯に素直に超然と行動を起こすべきなのだらう。
   
   

   
それでゐて猶、海辺は荒々しく、哀しくも憧憬に満ち、ただただうつくしい。