青嵐

卯の花をくたす嵐と若葉哉

今天新月、卯月の始め。
牛が狂ひ足萎へ、鳥が風邪引き悶死して、今度は豚流感か・・・*1
  
動物それぞれに独特の病理が存在することは当然のこと。畜生様から人間様への感染が、此の頃いとも容易く越境してくる。ウィルスの進化は人間のそれに比べれば光速で、あとはパンデミックを待つのみか。
ウィルスに因って淘汰され、それでも幸か不幸か生き残るであらう人類は、今後此の地球上でどのやうにして生存していくのだらうか。
  
  
今天は嵐。
海岸線は午後の数時間暴風雨に包み込まれ、颱風の時を思ひ出す。
果敢に表浜に出てみると、海上の方々に暗黒雲が垂れ込めては、これまた高速で目まぐるしく形状を変化させて、時折乳房状に垂れ下がった暗雲の手先が、激しく荒れ狂ふ海上を撫でるやうに過ぎ去って、或る時は沖の方に詰め込まれるやうに押し進み、また或る時は新緑で覆はれた大山山麓の原生林に吸収されていく。
激しく吹き付ける天空からの風雨に波飛沫が混じり、幾重にも幾重にも敷浪常世浪、いや、地獄浪が押し寄せる。沖の彼方に小さな竜巻が幾本も立って、巨大化する前に強風に身を捩りくねらせ、忿怒の咆哮を残して消滅する。其の様子は恰も、暗雲中に棲息する巨大な原始生命体が海の水を吸収すべく触手を伸ばしてゐるかのやうだ。
そしてまた、神々しき嵐のもたらした劇的な情景に刹那、色褪せたターナーの作品を垣間見る思ひのせるらむ。
  
  

嵐のもたらした幻覚作用に因って?、彼方の神島がスケリグ・マイケルに見へてくる。
既に我輩も狂豚病に罹患してゐるのかしらむ・・・
   
  

   
   
余りの風の強さ故か、家に戻ると停電してゐた。
念のため通夜の看板の出てゐた近所の寺の庫裏を覗いてみると、座敷の奥の暗闇に蝋燭の炎が一つ二つ。恐らく町内全てが停電中のやうだが、10分経っても20分経っても復旧しない。本を読むには明るさが足らぬ。再び外出するには風雨が強過ぎる。致し方なく、ここ暫くは万年床状態の布団に横たはり、ポータブルラヂオを聴き乍らの数十分を過ごす。少なくとも我が御幼少の頃、昭和の時代にはこのやうな停電はしょっちゅうあったもので、太い蝋燭が常に数本、お勝手の食器棚の引き出しに常備されてゐたものだ。
結局25分後に電気が復旧し、室内工作活動も再開に至る。季節の変はり目の、大気の激しき循環の渦中。此の宇宙の摂理である回転運動のフラクタルを劇的に体験目撃し、明日への糧と為す。
   
   
明日は亦 何思ひける 藤の花
   
  
  

   
   
  

*1:豚インフルエンザ」と呼ぶのもよいが、「新型人伝人猪流感」てう中国語表記も分かり易い。中国語で猪とは豚のこと。