由来の古層

八重咲きの三位一体

八部衆の由来と其の解釈には諸説あるが、一般にはもともと印度の神々で、仏教に取り込まれて守護神となったとされてゐる。
阿修羅王子様の解説は諸書籍に譲るとして、今回各像のほぼ全周を拝観できたことは大きな収穫であった。多くは少年相を持つ、異形の群像である。
   
   

   

以下に興福寺八部衆像について略説する。(Wikipediaより)
   

  • 1. 五部浄像 - 像高48.8cm。色界最上位の色究竟天とその下の天部である五部浄居天のこと。象頭の冠をかぶり、少年のような表情に造られている。興福寺像は頭部と上半身の一部を残すのみで大破している(他に、本像の右手部分が東京国立博物館に所蔵されているが、これは1904年(明治37年)、個人の所有者から当時の帝室博物館に寄贈されたものである)。経典に説く「天」に当たる像と考えられる。千手観音の眷属の二十八部衆のうちには「五部浄居天」という像があるが、三十三間堂清水寺本堂などの五部浄居天像は両手に1本ずつの刀を持つ武神像である。

  

  • 2. 沙羯羅像 - 像高153.6cm。頭頂から上半身にかけて蛇が巻きつき、憂いを帯びた少年のような表情に造られている。本像は、経典に説く「竜」に当たる像と考えられている。ただし、興福寺の沙羯羅像を「竜」でなく「摩睺羅伽」に該当するものだとする説もある。二十八部衆には「沙羯羅竜王」の名で登場する。

  

  • 3. 鳩槃荼像 - 像高151.2cm。頭髪が逆立ち、目を吊り上げた怒りの表情に造られている。経典に説く「夜叉」に相当する像とされている。 四天王のうちの増長天の眷属ともいう。 二十八部衆のうちには鳩槃荼に該当する像がない。

  

  • 4. 乾闥婆像 - 像高160.3cm。獅子冠をかぶる着甲像である。両目はほとんど閉じられている。

  

  • 5. 阿修羅像 - 像高153cm。三面六臂に表わされる。興福寺の阿修羅像は、奈良観光のポスター、パンフレットにしばしば取り上げられる著名な像である。

  

  

  • 7. 緊那羅像 - 像高149.1cm。頭上に一角、額に縦に3つめの目があり、寺伝とおり、当初から緊那羅像として造られたものと思われる。

  

  • 8. 畢婆迦羅像 - 像高156cm。他の像と異なり、やや老相に造られ、あごひげをたくわえている。経典に説く「摩睺羅伽」に相当するものとされるが、定かでない。二十八部衆のうちには畢婆迦羅と摩睺羅伽の両方が存在し、前者は通常の武神像、後者は五眼を持ち、琵琶を弾く像として表わされている。

  
  

  

注目すべきは、これらの像が各々様々なトーテムを冠してかたちづくられてゐることだ。
一番分かり易い例が沙羯羅(さから)であり、頭上に蛇頭の鎌首を冠し上半身に蛇体を巻き付けてゐて、少年の身体とは一体化してゐない。何故か瞬時に、藤内遺跡出土の蛇体を頭上に抱く土偶を連想した。ツタンカーメンの王冠の鎌首はコブラだったかしらむ。確かマジレンジャーにも蛇体を体に巻き付けた冥府王ゴーゴンなる強敵が登場するが・・・
  

関係有るのか没関係なのかは不明
   
五部浄(ごぶじょう)は仏教絵図に見る獏のやうな形状に表現された上顎付き頭部の獣皮を被ってゐる。この動物は一般には象であると解釈されてゐるやうだが、象にしては耳の形状や牙が妙なので、麒麟同様想像上の動物の象なのだらう。
同様の獣皮は乾闥婆(けんだつば)にも見られ、こちらはたくさんの鬣を持つ獅子と思はれるが、耳などの造作は猫のやうだ。印度神話ではガンダルバであり、即ち半人半獣のケンタウルスである。
緊那羅(きんなら)は髻の前、前頭葉頂部に小さめの一角を持ち、眉間には第三の目が開いてゐる。具体的な動物を読み取ることは難しいが、一角獣または犀のやうな獣をイメージしておかう。
迦楼羅(かるら)は一目瞭然、鶏冠を持つ鳥人間の形状だが、霊鳥ガルーダであり天狗の原形イメージにも影響を与へてゐるらしい。
鳩槃荼(くばんだ)の不気味な赤ら顔と逆立った怒髪はガラモンの表情を連想させるが、此のガラモン自体は宇宙怪人セミ人間(チルソニア遊星人)によって造られたロボット怪獣なのだが、製作者がカサゴと言ふ魚を正面から見た顔から連想して作り上げたやうだから魚類(深海魚?)かしらむ??
  

並べてみるとそんなに似てないかも・・・
  
  
 
半人半獣として一体化を果たした造形は寧ろトーテムとの妥協の産物であらうが、獣皮を被った造形はアステカのシペ・トテックをも連想させる。人獣複合の例は各地の古文化にみられるが、古代中国の青銅器装飾文や日本の甲冑、寺社装飾の獅子咬などにもみられる。また、登頂に蛇頭を抱く造形は、まさにそのものが縄文土偶に見られることから、これらの心性は相当古層に由来することが推測される。
仏教に習合されたこれら古文化の痕跡は、装飾や造形の細部に限らず、実は至る所に見出すことが出来るのだ。
   
それにしても、我々烏合の衆生は宇宙の中心たる阿修羅王子様の回りを何故か左回りに、即ち、チベット人達がジョカンやチョルテンやカン・リンポチェ(カイラス)を右繞する如く、小銀河宇宙の如くぐるぐると、何度も何度も回転式の拝観を余儀なくされるのだ。
其の様子は俯瞰することも出来る仕組みになってはゐるのだけれど、折角の古代的な工夫も今ひとつの空間配分で、とりわけ否が応でも見ゑて仕舞ふ天井部分は中島氏の指摘を待つまでもなく安普請が残念至極。
なにせ生命樹が支へる天蓋部分なのですから・・・
   
   

縄文のメドゥーサ―土器図像と神話文脈

縄文のメドゥーサ―土器図像と神話文脈

光の神話考古―ネリー・ナウマン記念論集

光の神話考古―ネリー・ナウマン記念論集