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チベット動乱から50年 各国が伝えた懸念とは
産経新聞 2009/03/16 15:00)
   
   
 中国の支配に抗議するチベット民衆と人民解放軍が衝突したチベット動乱から10日で50年がたった。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、動乱を機に現在のチベット自治区の区都ラサを脱出し、インドでの亡命生活を強いられている。だが、中国は、チベットが「解放され幸せになった」と主張する。欧米諸国は、弾圧を強める中国に対して懸念を表明しながらも、中国のチベット支配強化に無力感も漂わせている。

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 ニューヨーク・タイムズ(米国)

 ■手遅れになる前に対話を

 チベット問題への関心が高い米国では、10日のチベット動乱50年をはさみ、区都ラサでの厳戒ぶりや、ダライ・ラマの動静に焦点を当てた報道が相次いだ。論評も数多かったのだが、11日付のニューヨーク・タイムズ紙が掲載した社説が、「ダライ・ラマの講話」という直球型のタイトルとともに米国の視点を端的に表している。

 「ダライ・ラマは、平和と忍耐の人だ」という書き出しを読めば、チベット仏教の最高指導者を「チベットにおける封建的な農奴主階級の総代表」(中国政府「チベット民主改革50年」白書)と非難する北京の対外宣伝との差が分かる。
   
続いて社説は、ダライ・ラマが動乱50年にあたり発表した危機感あふれる声明を取り上げ、「手遅れになる前に北京が彼の警告に耳を傾けるよう願うばかりだ」と呼びかけた。

 社説が懸念を示すのは、「非暴力の中間路線」を堅持しているダライ・ラマに対し「中国が真剣な妥協をかたくなに拒絶」している対話の中断状態だ。北京五輪を控えた昨年、中国政府はチベット亡命政府との対話に応じたが、この1年間に北京からの誠意はなにも示されなかった。

 代わって中国政府は、武装部隊のチベット増派など「理屈よりも力で応えて見せた」。亡命チベット社会の独立要求はかろうじて抑えられているものの、これでは「ダライ・ラマが死去すれば、北京は問題を平和的に解決し得る最良の対話の相手を失う」と社説は警告した。

 米国の専門家らは、中国がダライ・ラマの死去をむしろ待って、チベット支配の強化に乗り出すとみる。その筋書きには、過激化する独立運動と弾圧による流血の拡大が予想されていることも忘れてはならない。(ワシントン 山本秀也

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 ▼人民日報(中国)

 ■騒乱の原因には沈黙

 「チベット人の幸せ」。チベット動乱から50年にあたる10日、中国共産党の機関紙「人民日報」は1面でこのような見出しで大型コラムを掲載した。「チベットの幸せは普通の人々が幸せになることであり、奴隷主たちの幸せではない」と強調し、半世紀前に共産党チベットで行った改革で、「95%の人口を占めるチベットの労働人民が農奴制度から解放された」と主張した。

 「解放前のチベット人の生活は、牛や馬よりもひどい」。記事は、ある一般市民が北京で開かれている「チベット民主改革50周年の記念展示会」を見学した際に漏らした感想から始まる。さらに、「ダライ・ラマの兄が英国製の自動車のおもちゃで遊んでいたとき、彼と同年齢の貧乏人の子供たちは、街でイヌと食べ物を奪い合っていた…」など、普通のチベット人たちが解放前、いかにむごい生活を送っていたかを詳しく紹介しているが、どこから引用したものかについての説明はない。

 そのうえで、「1950年にチベット人の9割は住宅を持っていなかったが、現在は都市部住民1人あたり33平方メートル、農村部でも約23平方メートルに達した」と説明。「チベットでは以前は非識字率が95%だったが、今は義務教育が実施され、読み書きのできない人は基本的にいなくなった」と強調している。

 「封建的な農奴制度を廃止したことは、チベット史の必然的な進歩であると同時に、世界的人権事業においても偉大な成果だ」と、記事は結論づけた。だが、無神論を主張する共産党チベット仏教を信仰するチベット人を支配するという問題や、「幸せになった」にもかかわらず、昨年3月にチベット自治区の区都ラサを中心に、なぜ、大規模な騒乱が起きたのかといった疑問には、まったく言及はなかった。(北京 矢板明夫)

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 ▼デーリー・テレグラフ(英国)

 ■見殺しにした欧米諸国

 チベット動乱50年に合わせて、保守系の英高級朝刊紙デーリー・テレグラフは11日付の社説で「見殺しにされたチベット」と題し、「チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は、金融危機をきっかけに欧米の友人たちがチベットに背を向けたことに落胆しているに違いない」と指摘した。

 同紙がまずやり玉に挙げたのは、20世紀前半にチベットに深くかかわった英国だ。英国は長らく中国とチベットの関係を「宗主国と属国」としてきたが、昨年10月、ミリバンド英外相が「他の欧州諸国や米国と同様、英国もチベットを中国の一部とみなす」と明言し、チベットにおける中国の「主権」を認めた。

 同外相は「“宗主権”という時代遅れの表現をやめただけ」と説明したが、同紙は「ブラウン首相が中国に国際通貨基金IMF)への拠出を増やすよう促していたのと同時期だった。偶然とすれば、あまりに偶然すぎる」と皮肉った。

 昨年3月、チベット自治区で抗議活動が起きると、中国はチベットに対する主権を強く主張。宗主権には民族自決や独立を目指す属国の主権を宗主国が制限しているとの意味が含まれるため、中国は英国に宗主権の使用禁止を申し入れていた。それだけに今回の変更について中国外交筋は「長年にわたる英国の誤りが訂正された」と歓迎した。

 中国による米国債投げ売りを恐れるヒラリー・クリントン国務長官も訪中時に「(チベットなどの)人権問題は世界的な経済危機への取り組みの妨げにはならない」と発言し、「ダライ・ラマをピリピリさせた」(同紙)。同紙は「中国が主張するように、もしチベットが中国の侵略により奴隷制度と封建制度から解放されたというなら、海外メディアに取材を解禁すべきだ」と要求している。(ロンドン 木村正人)

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【用語解説】チベット動乱

 1945年ごろまで、チベットは実質的に独立に近い状態にあったが、中国は51年に人民解放軍を進駐させた。59年3月10日、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世が、中国側に拉致されると疑った市民数万人が軍と衝突、大規模な反中国暴動に発展した。動乱後、軍は全土を制圧した。