風水風土空風輪

蒲の穂、未だ細い

遺跡は常に、最終的な姿しか我々に見せてくれない。
壮大な古墳も、巨大な環状集落も、縄文早期の炉穴も、古窯も何もかも、我々が確認できるのは常に最終的な姿のみだ。
今は昔、九州島で吉野ヶ里遺跡が発見された頃、我輩は倫敦に潜伏してゐたのだが、友人が送ってくれた新聞の切り抜き記事の写真やプレス用の資料には、いくつもの穴や溝が写ってゐるばかりだった。
彼の地の友人はそれを見て、何だ凄い遺跡にしては穴と溝しか残ってゐないではないかと言ったことをよく覚へてゐる。
其の時我輩は極東の瑞穂の国の代表者であったワケだからして、「いやいや、土器や青銅器や墓地などもどんどん発見されてゐるのだよ」と説明を試みたのだが、遺構群の「分かり難さ」ばかりが目立って仕舞ひ、日本の古代遺跡の本質を伝へることが出来なかった。
同じ頃、大倫敦中心部では古代ローマ時代の競技場跡が発見されたのだが、発掘現場を見に行くと煉瓦と石組みが見事に残っており、改めて建築物としての想像図など必要としないほどの「分かり易さ」があった。
勿論、欧州の全ての遺跡がこのやうな分かり易い構造を持ってゐるわけではないが、穴と溝、そして幾許かの土器などをもとに、あとは学問的な想像力と幻視力で遺跡を観じることのできる日本人は、矢張り少し特殊なのかもしれない。
(-_-)
                         
                       
さて、戒厳令下の灯火リレーが行はれたラサの様子、やうやうほんの少し漏れ聞こゑて来ました。
以下は Days さんのブログからの引用。
                    

                        
2008/06/24

Monks All But Vanish
作成者 Days ― 投稿日 2008-06-24 01:52 最終変更日時 2008-06-24 02:22
                     
ジョカン訪問の予定が急遽変更となり、セラ寺を訪れた外国メディアは何を見たのか。カナダのThe Globe and Mailが伝える「中国の弾圧下でラサの僧侶は消えた」。
この記者には、当局の取材制限がよっぽど腹に据えかねたと見える。日本から参加した共同通信にもこのぐらいのことを書いてほしい。
                           
【ラサ23日】マニ車を回し、山頂のかつての宮殿に参拝する巡礼者がポタラ宮に戻ってきた。
この2日間、オリンピック聖火リレーのために仏教巡礼者たちは場所を譲らなければならなかった。数千人の巡礼者がラサを訪れる祭りの月にも関わらず、ポタラ宮中国当局の重点的な警戒地点とされ、伝統的な巡礼路は儀式なしに閉鎖されていた。

巡礼者が戻っても、謎は残る。ラサの僧侶たちはどこへ行ったのか? チベット第二の僧院、セラ寺への昨日の訪問で見たのは、550人と言われる僧侶が姿を消した痕だった。僧院の多くの建物や庭は空っぽと言ってよく、全部で10人ほどの僧侶がいただけだった。
3月の蜂起以来初めて許可を得て訪れたカナダの記者としてラサを回った3日間で見たのは、チベット仏教で最も聖なる寺院、ジョカン周辺の歴史的な町並みを含め、まったく僧侶の姿がなくなってしまった町だった。

ラサに知人がいる亡命チベット人によれば、3月に発生した反政府抗議運動以後の3ヵ月で、いまが最も厳しい制約下に僧侶たちが置かれているという。
「ラサのいたるところに検問が設置され、無差別に身分証明証の確認が行われていた」。ブリティッシュコロンビア大学教授でチベット人作家のツェリン・サキャはこう話す。「僧院の出口には公安が常駐し、身分証を確認して、多くの僧侶を外出させずに留まらせている」。ラサ市民はセラ寺の僧たちと電話で連絡を取るのが非常に難しいという。サキャ氏は続ける。「安全対策です。僧侶は抗議活動の中で一番大きな声を上げていたために、今回のキャンペーンの標的になってしまっているのです。彼らは本当に慎重に監視されています」。

政府管理下にあるセラ寺の77歳の長老、ロブサン・チョーペルは、僧侶たちに対する制限を否定した。「みんな町に出て買い物はできるし、市場で野菜だって買えるのです」ときのう彼は話していた。しかし、町や僧院の中で僧侶の姿が少ない事については、彼は何も語らなかった。
外国人記者からの5つの短い質問の後、当局関係者にせき立てられて長老は退出し、それ以上の質問は許されなかった。関係者は政府後援のツアーの次の予定があるから、と弁解した。僧院の歴史的遺物へのガイド付きツアーを別にして、他に僧侶と接触することはできなかった。
3月10日に始まったラサでの抗議活動で先導的な役割を僧侶が担ったセラ寺は、その後厳しい管理下に置かれている。無線機を持ち、制服に身を固めた警官たちが、きのうは僧院の入り口に常駐していた。

中国政府はこの週末、2時間でオリンピック聖火が全速力で市内を回れるよう、大規模な警備陣をラサに配備した。
土曜日の朝、招待客は開会式と閉会式に参加できたが、チベットの首都を短縮ルートで回った聖火から普通のチベット人は遠ざけられた。
チベット分離独立派が妨害を企てているという政府報告にも関わらず、数千人の武警と通常の公安が厳しく目を光らせていたために、特に事件は起きなかった。
聖火リレーのルートから外れた大半の町中は、閑散としていた。住民たちは聖火応援の特別許可証がない限り、自宅から出ないように言われていたのだ。聖火リレーの経路にある数百の店舗は一日中シャッターが下ろされていた。外を冒険しようとしたチベット人は、路地の鉄条網より先に行けなかった。
リレー応援に招待された数人の外国人記者たちが見られたのはスタートとゴールだけで、あいだの9キロを見ることは許可されなかった。開会式の取材が許可されるまでのあいだ、彼らは有刺鉄線で覆われた検問と検問とのあいだを通り抜けなければなかった。
リレーのゴールで、聖火は数千人の児童と選ばれた観客たちによる振り付けされた民族舞踊とリズミカルな旗振りに出迎えられた。

中国当局は、オリンピックをチベットを不安に陥れるダライ・ラマに対する攻撃の機会と考えているようだ。
「我々はダライ・ラマ一派の分離独立計画を完全に潰すことができるでしょう」。チベット共産党の強硬派として知られる張慶黎は聖火リレーのゴール地点に集まった群衆にそう宣言した。彼はチベット語がうまく話せないため、通訳を介して話していた。
ダライ・ラマに対する彼の攻撃は、先月中国当局との予備的会談に代表者を送ったチベットの精神的指導者に対して北京政府が真剣に対話するつもりがまったくないというサインだった。第2回目の対談は、中国側の主張で延期されている。
中国当局の別の高官は、ダライ・ラマについてこう攻撃した。「彼は真実をチベットの人々から隠してきた」と、チベット自治区政府上級副主席のペマ・チリンはラサでの記者会見で語った。
「彼の本当の狙いは、チベットを封建的な農奴制社会に戻すことなのです。彼は過去、何の利益もチベット人にもたらしませんでしたし、これから将来もそうでしょう」。
中国当局はラサを事実上の戒厳令下に置いていると言う者もいる。「チベットの首都を軍事的に制圧したのと同じやりかたで、中国は戦車を先頭にした聖火リレーでラサを蹂躙したのです」と亡命者の活動グループ、Students for a Free Tibetのハン・シャンは言う。
人権団体もチベットの首都で聖火リレーが行われるという決定には批判的だった。「国際オリンピック委員会のお墨付きを得たこの挑発的な決定が、チベットとその一帯の問題を長い時間をかけて平和的に解決していこうというプロセスを破壊することを憂慮する」。「中国人権」のリーダー、シャロン・ホムは声明の中でそう書いている。「ラサでの聖火リレー実施に関する政府の主張は、ダライ・ラマとの本当の対話プロセスに必要な敬意と信用とを損ねただけに終わった」。