表皮

木質を大地に還元する粘菌類

激しい雷雨が通過し、地上に潤ひを齎す・・・
コンテナ式雨量計の数値は125ミリにも達し、なかなか激しい雨であったことがわかる。
さて、小さな庭に中でも、日々無限の変化とさまざまな営みが展開し、決して見飽きることは無い。しかし、無常観に浸り頓悟を装ふ暇もなく、ささやかな畑地に限らず、雑草は逞しく、どんどんどんどん伸びる伸びる。引ゐても引ゐても抜いても抜いても、出てくる出てくる。
しかも、植ゑた覚ゑの無いものはもりもりと成長するのに、買ってきた苗は雑草に埋没して仕舞ったり虫の攻撃で死んで仕舞ったりと、なかなか皮肉な結果が常態となってゐる。此の状況から宇宙の諸行無常を感じることも出来るのだが、先づは雑草の抜き取りが先の話だ。
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東北地方の大地震
山体崩壊現場の空撮映像を見ると、極めて既視感の強い風景であるなと思ふ。四川の断層はプレートテクトニクス規模の巨大なものであったので、単純に東北の活断層と比較することは出来ないが、山塊が鳴動し至るところで崩落し、渓谷を堰き止め、土石流が段丘を削り、墳砂が地表を覆ふ・・・ このやうな営みの繰り返しこそ、大自然の基本的な摂理であり、そもそも大自然様は人間様のことなどにまったく関心は無いのであるからして、人間様達のささやかな抵抗もそこはかとなく無力に感じることが多々あって然るべし。
遺跡と言ふ現象が、大地の表皮のごくごく一部に展開した極めて繊細且つ脆弱なものであるてうことからもわかるやうに(どのやうな巨大遺跡にせよ)、尊大な人間様と雖も皮膚に巣喰ふコナダニのやうな存在に過ぎない。そんな人間は大地との結び付きを再確認する為に、各時代にささやかな痕跡を残していくワケだ。
例へば、大地に初めから存在する巨石を崇拝する消極的且つ謙虚な関はり方もあれば、各地から運搬し集め、一定の法則で組み上げたり並べたりして場を演出する積極的な関はり方もある。しかし、いくら大規模な土木工事を数世代に亘ってし続けても、人間様には山脈一つ造れるワケでもなく、太洋を想像できるワケでもなく、ましてや天を意のままに動かせるワケでもない。人間様はせいぜい、大地の表皮のそのまた薄皮を耕して、食料を得、天文をまねび、風水を模倣し、天下を取った気になるほかは無いのだ。
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さて、DEWACHEN を中心にした FREE TIBET, FREE LIVE! 第一弾は無事終了したやうで、早速其の様子が YOU TUBE に上げられてゐた。大変良い雰囲気が醸成されてゐて、其の場を共有できた人たちは幸せだったらうね。
一方メリケンのメジャーなチベタン親派であるリチャード・ギア氏は、New Lancia Delta のTVCF を依代にして、チベット(仏教)に対する尊敬と弾圧に対する無言の抗議を表現することに成功したやうだ。聖林魔術の為せる技は見事だが、我が邦の TOYOTA 自動車には残念乍らこのやうな勇気はあるまい。
                         

                         
                             
しかし、我が邦の庶民巷間には↓このやうな一風変はった地味な活動をしていらっしゃる方も居られるワケで、一見無意味でバラバラな各地の画像が堆積していくことによって、何か大きな変革や動きに繋がって行く可能性を示唆してゐて、好感が持てる動画だ。
                       

                     
                           
そしてこれは前にも一度掲載した動画。
ベルリンはブランデンブルグ門廣場に響くチベット語(&英語)のアメイジング・グレイス
                             

                      
                       
自らの意志を明らかにすることは決して悪いことではなく、例へ日常の刹那であっても必要なことである。