蛸陀羅仏供 ~takodarabook~

笹百合の清楚なる立ち姿

午前9時前、目覚めよと呼ぶ声が聞こゑ、寝ぼけ眼で慌てて玄関へ。
髪の毛も茫々で束ねておらず(現在肩胛骨隠す長さ)、よれよれのもんぺみたいな妙な服(寝間着)を着た野人が出現し、郵便局員もさぞかし驚いたことだらう。ずっしりと重い小包の送り主は、地球人氏。果たして、中身は期待通り、過激なまでにたっぷりチョコレートの入ったブラウニー及び、明治屋の My 印地豆バター(CRUNCHY)3瓶であった。
取り敢へずブラウニーのブロックを、神秘主義者らしくピラミッド状に皿に盛り、地豆バターと共に覇拿里荘の本尊である蛸陀羅仏に供へ、天上天下奇想天外、韋編三絶風味絶佳、満漢全席世間虚仮、マントラと陀羅尼を唱へて謝意を表し、朝飯前てうにブラウニーの大ブロック3個を忽ち平らげる。
さすがにあとから慌てて、珈琲ぎうにうなど作って飲んでみたものの時既に遅し。朝食前に胃の腑は満腹多羅腹となり、寧ろ胸焼けする気配さへ有るほどに。やんぬるかなと方針を転じ、常には夕刻自転車で走る海岸沿ひの自転車道を、今天はひたすらもりもりと歩き行く也。
名目は如何にも語ることが出来やうが、過剰なるカロリー消費と同時に、先日来観察を続けてゐる笹百合の観察も兼ねた遠出だ。結局道端の桜の木に鈴生りのさくらんぼを啄み乍ら(ほろ苦さが宜しい)、吹く風を心の友と、歩け歩けの往復は三時間にも及びたりける。
今天は此の他にもさまざまなもの(主に食品)を集中的に頂戴した日であり、月の巡りがさういふことになってゐたのだらう。<(_ _)> 皆様方に感謝多謝
                
How lovely brownies!
Mysterious brown pyramid power!!!
                  
                  
                      
さて、或る新聞社の世論調査に因ると、何らかの宗教を信じてゐる人は26%で、信じてゐない人が72%にもなったと言ふ。
更に曰く、
                    

                
宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れた。また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めた。多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。
                        (YOMIURI ONLINE からの引用)
                  

                   
何度も何度も再燃し続けてゐる所謂靖国問題を語る時、いつも取り沙汰されるのが「無宗教の礼拝施設」だ。礼拝そのものが、寧ろ純粋な宗教的行為と考へる我輩にとってみれば、これほど矛盾した言葉も余りない気持ちだが、そのやうなものが真剣に存在可能であると説く輩も此の世には結構仰山居て、中国から指摘される度に鬼の首を取ったかの如く其の奇妙な施設の建設を叫ぶ。
宗教的価値観に於いては節操の無い日本人であっても、畏敬し畏怖する能力や資質だけはまんだ遺伝子中に残存してゐるらしい。しかし、何でも良いワケでは決して無いが、「私は無宗教主義者でして・・・」などと平然と宣ふ人間様を、おいそれと信じることが出来ないのも確かなことだ。
日々何者かに感謝しないのかね? 日々何者かを畏怖しないのかね? 日々何者かの気配を感じないのかね?
食事を前に、習慣的に合掌し、いただきますと唱へるなら、即ち其れが宗教だ。神社に詣で、賽銭を投じ神籤を引き、帳の奥におわすなにものかに参拝することがあるなら、それが宗教だ。
これまた何でも良いワケではないが、「私はカミなるものの存在を信じませんので・・・」などと平然と宣ふ人間様を我輩は、おいそれと信じることは出来ない。
確かに、何でも良いワケではないなどとはずるい謂ひだが、もし我輩が信じるに足らず(又は信じるべからず)と判断したものを信じる人々が其処に居るとしても、彼らは少なくとも無神論者よりは信ずるに足る人々ではないか、と言ふやうな気がするのは我輩の気のせいだらうか?
(-_-)


地震が変えた中国人の人生観 中国紙の世論調査
2008.5.30 18:01(産経ニュース)
【北京=川越一】四川大地震が中国人の人生観を変えた−。中国紙「中国青年報」は30日、4309人を対象に、大手ポータルサイト「捜狐」と合同で行った世論調査で、88%の回答者が「地震で生活が変わった」と答えたと報じた。
 「以前は無駄に着飾ろうとしていた。400元(約6000円)のサンダルが気に入っていたけど、今では買いたいものは1つもない。人生で最も大切なのは平和と健康」。サンダルに費やすはずの金銭を義援金に回したという大学院生の言葉が、多くの回答者の気持ちを代弁している。
 同紙によると、82.1%が「地震後、命が惜しくなった。一生懸命勉強や仕事をする」と回答。拝金主義が広がり、贅沢(ぜいたく)品に金銭を投じていた人たちが、節約して人助けのために使いたいと考えるようになった。
 一方で、正反対の反応を見せた回答者も。3000元(約4万5000円)あれば2000元を貯蓄していたという28歳の女性は「命はもろい。今後は食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む。金をためようなんてしない。金のために好きなものを我慢したりはしない。減量もしない!」と友人に宣言したという。
                      
                      
人智を越ゑた天災が、地表を這う人間様の価値観を根底から揺さぶり続けて来たことは確かなことだらう。
例へば建築物や山川など物理的な諸物の崩壊が精神的な価値観の崩壊を連動させることも多々有ることだらう。もし、「文明」と言ふものが地球上の各地に存在してきたとすれば、全ての文明的所産を一瞬にして灰燼に帰すやうな天災を、人間は何度も体験してきたはずだ。
2010年に出現した第二の太陽。其の姿を目の当たりにしてしまった人間様たちは、どのやうな価値観の変容を遂げることになるのか・・・
個々の人間様の価値観の変容が、無意識の総体として文明の変化を生み出すことが有ったのか無かったのか。今はさういふことに興味が有る。
(-_-)