孤高至難

タイムの花

結局、在庫の硝子瓶で熟成中の梅酒(4年もの)を漏斗で濾して、臨時的にペットボトルに移し替へ、新たなる漬け込み用に利用しても猶、まんだ相当の青梅がなりなりてなりあまりたりけるが故、俄にホームセンターに出掛け硝子瓶とホワイトリカーを調達することに。
昨天漬けた分は既に梅の色が褪せ、黄色みを帯び、アルコールと氷砂糖の相互作用で既に滲出作用が開始された模様。梅シロップ用も同様の変化を始めてゐるが、こちらは白砂糖に埋もれるやうに漬けてゐる為、強力な浸透作用に因って1週間ほどで果汁が絞り出されて仕舞ふことだらう。
(-_-)
                  
今天は青梅のそんなあれこれやら、お見舞ひやら庭の按配やら冬用の布団干しだの何だのと、それなりに忙しく、気忙しく、それでゐて吹く風はさらりとして爽やかで、空はどこまでも青く、そんな風の中をバイクで走ってみたり、車を駆って買ひ物にでかけてみたりとそこそこぼちぼちであった。
(-_-)?
                   
日暮れて既に帰宅せるが、常日頃RSSで巡回してゐるNKMT氏のサイトで坂口安吾の一文と遭遇。
                      

                     
青年は先づ「ひとり」であることが大切だ。さうして、自分とは何者であるか、何を欲し、何を愛し、何を憎み、何を悲しんでゐるか、それを自覚し、そして自分自身を偽らぬことです。他人が正しくないと云って憤るよりも、自分一人だけが先づ真理を行ふことの満足のうちに生存の意義を見出すべきではないですか。郵便配達夫は先づその職域に於て最善の責務を果すことです。それもできずに、道義退廃だの政治の改革だのと騒いでも駄目です。私は結社や徒党はきらひで、さういふものゝ中でしか自分を感じ得ぬ人々は特にきらひなのです。
                    
青年は純潔だなどゝ申しても、人間は悲しいもので、年をとると、だめになります。情熱はだんだんあせ、正義よりも私利に傾き、せちがらくなり、ずるくなり、例の大人になります。けれども、我々が大人になると、あなた方青年が生れ、あなた方青年が大人になると、次の青年が生れてゐて、青年は常に無限です。この永遠の青年達の常に変わらぬ真善美への追求と愛は、この地上で最も信頼できるものゝ一つで、青年諸君は他をたよらず、他を指して我が身の口実となさず、先づ自分自身の身辺に於て自らの真善美を行ひ、生かすことです。社会を考へ、徒党を考へるのは、あとのことです。慷慨悲憤は他へ対してゞなく、先ず汝自らの内に向けられるべきです。
                   
                坂口安吾『青年に愬ふ―大人はずるい―』より
                     

                      
安吾の文章は常に機知と皮肉に満ちてゐるが、逆説を正論として用ひ、仮説を定説に扱ふ危ふさもある。しかし其処が安吾の醍醐味であり、時代に併呑されない反骨精神の神髄なのである。
既に年をとって仕舞った青年はだうすればよいのかてうことは、各人で考へればよいことだが、真善美の三位一体を体現することは至難の業。
厭世主義を謳ってゐても世間様との付き合ひは否応なしに迫られるのだらうし、清貧孤高を装ってゐても箸の上げ下げや日頃の素行に卑しき心は滲み出て仕舞ふものだ。
大人はずるい、汚ひと揶揄してゐても、そんな大人達に取り囲まれて育てられた自分こそ、いつのまにかずるい大人の典型に成り果ててしまつてゐることなどよくあることだ。
漱石の厭世的な孤高も理解できないわけではないが、我輩の性行は未だ胃を溶かすには至らずや。
                  
天上天下唯我独尊 韋編三絶馬耳東風 神社仏閣天衣無縫 止動方角南無三方
(-_-)?

                     
                         
                         
シャロン・ストーンさんに批判集中 地震チベット問題絡め
2008.5.26 23:32
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と親交がある米国の女優、シャロン・ストーンさんがこのほど、チベット問題への中国当局の対応が良くないために四川大地震が起きたのではないかという趣旨の発言をし、インターネットなどで批判を浴びている。
 香港紙などによると、ストーンさんは、カンヌ国際映画祭が開かれたフランスのカンヌで香港のテレビの取材に対し「中国のチベット人に対する待遇に不満を持っている。良き友人であるダライ・ラマへの対応も良くない。地震が起きて『これはカルマ(業)かしら』と思った」と述べた。
 これに対し、香港の芸能人が「中国人の共通の敵」と批判したほか、ネット上では「中国人の感情を深く傷つける発言で受け入れられない」と、ストーンさんがモデルを務めるディオールの商品の不買を宣言する書き込みもある。(共同)
                     
さて、仏教的世界観や転生輪廻世間虚仮、此の世の業の因果律を実感することは日常でもしばしばあるが、超級美人であるシャローン嬢の発言が体験的なごくごく素朴な呟きであった可能性は高い。問題は、彼女がダライ・ラマ猊下と親交があったことなのだらう。
我輩などは常に因果律のカルマの渦の中心に立つことが多いので、カルマこそ日常を満たすエーテルであるとさへ思ってゐたのだが、シャローン嬢の発言が不謹慎だの、ましてや「中国人の共通の敵」だの、このやうな批判はお門違ひにもほどがある。大地震が起きて『これはカルマ(業)かしら』と思った」だけでいちいち敵扱ひされてゐたのでは、太陽系第三惑星上では暮らせないことになって仕舞ふではないか。
まあ批判者が中国人達であることを思へば、「没法子了(しかたない)」などと思って仕舞ふのだが、本当に付き合ひの難しい人々だな、などと改めてつくづく・・・
(-_-) cogito, ergo sum...