大紅袍

大紅袍の果ての果て

南海の帝を脩と爲し、北海の帝を忽と爲し、中央の帝を渾沌と爲す。
              
脩と忽と、時に相ひ與に渾沌の地に遇ふ。渾沌之を待つこと甚だ善し。
                   
脩と忽と、渾沌の徳に報いんことを謀りて曰く、人皆な七竅あり、以て視聽食息す、此れ獨り有ること无し。
                     
嘗試に之を鑿たんと、日に一竅を鑿ち、七日にして渾沌死せり。
                    
                    
晴天が安定せず、突風が吹いてみたり土砂降りになってみたり、不穏な雲行き。今天は竜巻注意報なども出まして・・・
施肥と土壌改良用に庭に出しておいた苦土石灰を片付けることを忘れて仕舞ひ、夕方見に行くと全て溶解して流れ去って仕舞った様子。此のお陰で、予定外の駐車場の土壌が改良される?
(ー∧ー)
               
                  
                    
さて、長野での灯火リレーに関しては、今更多くを語る必要などあるまい。
早朝から善光寺で行はれた追善供養にこそ、今回の意義の全てが集約されてゐる。
                   
合掌
                    
善光寺チベット騒乱犠牲者悼む法要
(2008年4月26日12時22分)
聖火リレーの出発地点を辞退した長野市善光寺本堂では、出発式が始まった26日午前8時15分に合わせて、チベット騒乱犠牲者の法要が営まれ、善光寺の住職や約30人の在日チベット人らが犠牲者の冥福を祈った。
法要は、チベットの人権改善を訴える市民団体「チベット問題を考える長野の会」の依頼で、善光寺の住職らでつくる「平和を願う僧侶の会」が実施した。
参加者は薄暗い本堂に正座し、住職らが般若心経を唱える中、静かに手を合わせた。騒乱で亡くなった犠牲者60人以上の名前が読み上げられると、目頭をぬぐう人の姿も見られた。
在日チベット人の男性は「お経を読んでもらって感謝している。自分もみんなが幸せになるようお祈りした」と話した。
法要開始前、善光寺に姿を見せた国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)のメナール事務局長は「中国によるチベットでの人権侵害は五輪の精神に反する」などと訴えた。長野駅前に移り、黒い横断幕を掲げて抗議した。

                  
ちなみに胡錦涛氏は唐招提寺へも御訪問の由。南都の仏法僧はどのやうな対応をなされるのでせうか?
(-_-)
                          
しかしあの風景、巨大な五星紅旗が沿道一面に翻り、「加油、中国!」(ジャアヨゥ・チュングオ=中国がんばれ)の叫び声が至るところから聞こえてくるあの様子は、余りにも異様だ。
そもそも灯火に向かって、「加油、中国!」と合唱する意味がわからんし、オリンピック旗や日本国旗どころか、万国旗の欠片さへ殆ど見られぬあの不自然さ。
いくら中国からの留学生とはいへ、あれほど規格の揃った巨大な五星紅旗を常備してゐるワケがないので、大陸側で周到に準備されて輸入されたものに違ひない。在日華僑とともに動員された中国人の数は、一説には5千人ともそれ以上とも報告されてゐる。
あの異様な風景を見て、直ちに思ひ出されたのが、文化大革命の情景だ。彼らには集団的示威行動時のプロトタイプとして、良くも悪くも文革のイメージがトラウマとなって意識の中に沈潜してゐて、無意識のうちに行動として発現してくるのだらう。
それにしてもいくつか見られた妨害行為、多くの報道では単に「台湾人男性」としてしか発表されてゐない男性の身上的背景、産経しか取材していないのは何故?
                      
                     
フリーチベット」の叫び届かず亡命2世、泣きながら乱入
2008.4.26 13:39(産経ニュース)
何のための、だれのための「平和の炎」なのか。26日、3000人規模の厳戒態勢の中で行われた北京五輪聖火リレー。沿道を埋め尽くす真っ赤な中国国旗と、時折揺れるチベット雪山獅子旗。出発式会場に一般客は入れず、平和の祭典を象徴するイベントは「市民不在」で進んだ。「チベットに自由を」「ゴーゴーチャイナ!」。チベット問題を訴えるプラカードも掲げられ、タレントの萩本欽一さんや卓球の福原愛さんが走行中には男が取り押さえられる場面もあった。善光寺で知られる仏都・長野市は終日騒然とした空気に包まれた。(林英樹、永原慎吾)
ハプニングは突然起きた。JR長野駅善光寺周辺と比べて、比較的観客の数が少ないコース中ごろの沿道。「フリーチベット!」。チベットの旗を握りしめた男がロープをまたいで車道へ飛び出し、聖火ランナーの列に飛び込んだ。警官隊に取り押さえられ、地面に顔を押さえつけられながらも、「フリーチベット」の泣き叫ぶような声は消えない。
男は、台湾に住む亡命チベット人2世の古物商、タシィ・ツゥリンさん(38)。「私はオリンピックに反対しているわけではない。ただ、チベットの惨状を全世界に訴える絶好の機会だと思っている」。この日朝、沿道の別の場所でチベットの旗を広げていたタシィさんは記者にそう話していた。
タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。
父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという。
チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする覚悟がある」
チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットチベット人のもの。暴力を使わず、平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。
タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」と述べていた。
    ◇
穏健にチベット問題を訴える人たちもいた。市民団体「SFT日本」の代表を務める亡命チベット人2世、ツェリン・ドルジェさん(34)=名古屋市=らも長野入りし、「チベットに自由を チベットに人権を」と書かれた横断幕を握りしめた。
「私たちは聖火リレーを妨害するつもりはない。ただ、中国政府にオリンピック精神に立ち返ってほしいだけ。自分の思うこと、感じること、自由に発言できる社会にしたいだけだ」
SFTでは事前に、抗議をする場所や抗議方法について、長野県と協議を重ねていたが、ツェリンさんらの周りには、「ワン・チャイナ」と連呼し、中国国旗を翻す大勢の中国人たちが詰めかけ、その声はほとんどかき消された。
チベットの中心都市、ラサでは中国人の人口がチベット人を超え、子供たちも中国語を話すようになっているといい、「このままでは私たちの文化や宗教は確実に跡形もなく消えてしまう」。
この日、長野を訪れたチベット人らの多くは3グループに分かれて抗議活動に出かけた。あるチベット系中国人男性は「チベットに残してきた家族が中国の公安当局に尋問を受けており、顔や名前を出して抗議活動をするのは正直怖い」とこぼした。
                   
                  
此の産経の速報性と詳細な取材には驚くばかりだが、走者に発煙筒や紙、はたまた袋に入った玉子を投げつけて捕まった連中とは、根本的に意味が違ふのだ。
また、数多くの報道の中には、「灯火支持者は殆どが中国人だが、チベット支持者が日本人ばかりなのは何故だ」などと疑問を投げかけたものもあったが、これなどは大たわけものの戯言だ。チベット併合の歴史的背景など、少しも勉強してゐないのだな。
                 
                  
 
例へば中国本土で、今回と同規模の日本国旗を掲げることは果たして可能でせうか?
                   
 
ゴール地点、チベット支持者側から見た光景と、中国側から見た光景。会場空き地を夾んで対峙し、鬨を上げる様子は川中島の合戦直前?
胡錦濤氏の来日時にも、江戸や古都奈良などで此のやうな様子が再現されるのでせうか。
                
                    
今回の長野での様子、勿論TVニュースでは生中継がされてゐたが、生々しい様子は mixi の書き込みからそれこそ分刻みで知ることが出来た。
中には此の為にわざわざ動画サイトを開設し、自らナレーションをしてデモの真っ直中から生中継してゐる奇特なヒトも居たし、掲示板を共有して今何処で何が起こってゐるのかを知らせ有ってゐる人たちも大勢居た。
我輩の朋友夫妻も2名、ゴール地点で在日チベット人達とともに示威活動を行ったとのことだが、日本とは思はれない異様な雰囲気で恐ろしい状況だったと伝へてきた。
テレビ画面で見かけた、東トルキスタンや恐らく内蒙古の黄色い旗を掲げた一群の人々の行方も尋ねてみたが、よくわからないとのこと。法輪功の謎のパレードの残党や刃物を持ち歩く風来坊、超巨大なチベット国旗を掲げた右翼集団、挙げ句の果てにはオウム松本の画像を持ち歩く輩ばかりか、ハレ・クリシュナ小集団まで見かけたてう目撃情報もあり、混沌は此処に極まり、七竅九穴を全身に穿たれ死して溶解し、遂に極東我が邦の地上に遍く蔓延を開始したのであった。
(-_-)