此処は何処か?

此処は何処か?

ゴーギャン畢生の大作に『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』*1てう作品が有る。
ボストン美術館の所蔵するこの超大作が、ゴーギャン晩年、二度目のタヒチ滞在中に描かれたものであることは良く知られてゐることだし、この難解かつ示唆的抽象的な題名や作品の図像学的解釈は既に多くの研究者に因ってなされてゐるし、実はさほど興味は無い。
旅に棲んでゐる時は言ふまでもなく、常日頃からふとした時に脳裏に響くのは、或る種の問ひかけとしての『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』てう三位一体完結句なのだ。我輩の場合其の続きが有って、実は結果最も重要な問ひは『此処は何処か』てうことではないかとしみじみ思ふのだ。
此処は何処か?
何処から来やうが何処へ行かうが、そんなことはだうでもよい。疑問は常に唯一のみであり、それが『此処は何処か』てうことなのだ。
此処は何処か?
全てはこの疑問に対する納得行く回答を得られた場合のみ、第2の問ひである『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』てう疑問群を思惟することが出来るのだらうし、第一の疑問に対する解答も得易ひのではないかと思ふのだ。

*1:Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going? または Woher kommen wir? Wer sind wir? Wohin gehen wir? 或いは D'ou venons-nous? Que sommes-nous? Ou allons-nous?